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神前神社
こうざきじんじゃ
三重県伊勢市二見町松下字尾谷1407−5
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式内社 伊勢國度會郡 神前神社 |
五十鈴川河口の東岸、神前岬の山上にある。
42号線から東へ進み、行き止まりから、
急な上り坂(階段)をひたすら登ると社殿が見える。
蜘蛛の巣や雑草に気をつけて登る。
参道を歩いていると、周囲でガサガサ音がして不気味。
よく見るとカニが歩いている。海に近い山(岬)の上なのだ。
岬一帯には、
「御坐岩」「笏立石」「まないた石」「祓嶋」「潜嶋」などの岩場があるらしい。
皇大神宮の摂社で、式内社・神前神社に比定される古社。
周囲の海辺は、天照大神へ奉られる海の幸を採取する
贄海神事が行われていた場所。
垂仁天皇二十五年、倭姫命は二見の浜に至り、
五十鈴川の河口の江にて江社を定めた後、
荒崎の荒前姫に、当地の名をお聞きになって、当社を奉祀したという。
他の摂末社同様、中世には廃絶しており、
寛文三年に、岬の先端部に再興された。
後、高潮の影響や、参拝の便を考慮して、
享和、文化。明治年間の建て替えの際に、
鎮座地が少しずつ変遷し現在に至っている。
参道階段 | 参道上から |
境内 |
社殿 | 社殿 |
『儀式帳』は当社の鎮座について「同内親王定
祝」と記し、倭姫命によつて奉祀されたと伝える。『倭姫
命世記』は、「荒前姫参相。國名問給。白久。皇太神御前
荒崎白支。恐志止詔。神前社定給」とあつて、倭姫命が五十
鈴川の河口に江社を定められた後、荒崎の荒前姫が国名を
申し上げ、当社が奉祀されたとする。
−『式内社調査報告』− |
【 皇大神宮摂社 神前神社 】