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河原神社
かわらじんじゃ
三重県伊勢市御薗町新開字下倉304
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伊勢市駅から北へ2Kmちょっと。
新開の交差点で左折し、墓地で曲がると、森が見えてくる。
神宮百二十五社の中には、川原神社と河原神社があり、
延喜式には、川原神社と川原大社とがある。
当社は、神宮百二十五社の河原神社で、式内社・川原大社の方。紛らわしいのだ。
延喜式で、「大社」としたのは、単に区別のためらしいし、
写本によっては川原神社だったりする。
当社の創祀年代は不詳。
豊受大神宮の摂社だが『倭姫命世記』にも当社の記述がないらしい。
中世以来、長く廃絶していたが、寛文三年に当地に再興された。
ただし、本来の社地に関しては
竹鼻町西南の畑中の「竹鼻神社」(大口神社に合祀)、
船江町檜尻の「川原淵社」などの異説がある。
川原淵社説に関しては、
寛文三年に再興された河原淵神社の鎮座地である檜尻が式内社・川原大社で、
その南の池の淵(現在の河原淵神社)が、式内社・川原淵神社であるという。
朝早くから、近所の老夫婦が境内の掃除をしていた。
神宮の末社の境内は、いつも綺麗なのは、こうした奉仕のおかげだろう。
写真中央の籠は、その掃除用具だ。
社域の森 |
境内 |
社殿 | 社殿 |
神宮の摂社の創立起源について記す有名な資料は
『倭姫命世記』であるが、当社についての記述はなく、由
緒は不明である。但、寛文の摂社再興時の鎮座地決定には
少なからず疑事はあつたにしろ、この社が宮川から
勢田川への一支流の川近くに恐らく鎮座してゐたことは、
社名などやその他の説から考えると間違ひないと思われる。
−『式内社調査報告』− |
【 豊受大神宮摂社 河原神社 】