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射穂神社
いぼじんじゃ
愛知県豊田市保見町北山26
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式内社 参河國賀茂郡 射穂神社 |
愛知県豊田市にある。
愛知環状鉄道保見駅の北西1Kmほどの保見に鎮座。
保見町にある北山の上にあり、
当社境内(北山)の真下を、愛知環状鉄道が貫通している。
保見駅から西へ500mほど進み、保見の町に入ると、
北山の南麓に、参道入口の鳥居が建っている。
そこから北山へ上りの参道が続いているが、
鳥居を撮影していると、近所のおばあさん達は、
この鳥居の前で手を合わせていた。
参道の坂道を上ると、突き当りが境内入口。
入口から、さらに参道を上り、階段を上った場所に
垣に囲まれた社殿がある。
創祀年代は不詳。
社伝では、白鳳元年九月の創建とある。
社名について。
『式内社調査報告』では、射保と書かれていたが、
現在、正式には射穂。
発音は、「いほ」とも「いぼ」とも呼ばれるらしいが、
現地で確認はしていない。
一説には、もと蔵王権現と呼ばれていたらしく、
何度かの遷座があったという。
祭神は、中央に安閑天皇を祀り、
左右に春日山田皇女(皇后)と神前皇女(御妹)を祀る。
参道の階段を上ると、正面に拝殿があるが、社殿は右手。
参道の階段は、拝殿の横に出ることになる。
社殿は垣の中だが、その左右にも垣に囲まれた境内社があり、
左右、それぞれに三つの祠がある。
右の垣の中には、秋葉神社・金刀毘羅社・八王子社。
左の垣の中には、伊豆社・山神社・社宮司。
社前の案内には十三社の末社があると記されているが、
境外にあるのか、境内で見落としてしまったか。
参道入口の鳥居 | 境内入口の鳥居 | 境内 |
参道の神馬像 | 拝殿 |
社殿 |
左側の境内社 |
拝殿から社殿 |
右側の境内社 |
射穂神社
−社前案内板− 射穂神社由緒記
古伝に三河国賀茂郡高橋の庄伊保郷開発和銅6癸丑歳改むとあり村名射穂とも又伊穂とも書き、後に伊保村、御獄市場を合して上伊保と称す。 神社地は藩政時代城主の戦國地と称せるも火災焼失多くありたるため鎮座地を池之坊洞より御獄山頂に移し、また三祖山に移し明治維新の際北山と改称す。 鎮座地 愛知県西加茂郡猿投町大字上伊保字北山弐拾六番地 境内地 1170坪 神社名 射穂神社 祭神 左相殿 春日山田皇女 中殿 安閑天皇(廣國押武金日尊)右相殿 神前皇女 延喜式内3132座の内三河国加茂郡伊穂之神社祭神蔵王大権現とあり通称伊保天神とありしを享保年間より蔵王宮と称し、その後射穂神社と改称せり。和漢三才図絵に言ふ蔵王大権現祭神は不祥なるも社伝に清見原之皇子大友皇子御征伐之節御勝利祈願のために白鳳年間御即位に神社御建立とあり古代の創建なること知るべし。明治5年8月郷社に列せらる。明治43年末社八幡宮、八柱神社、秋葉神社、津島神社、武稲神社、神明社、伊豆社、御鍬社を合祀す。昭和18年8月県社昇格の申請を了し社格昇格の内定を得しも大東亜戦争終息により無に帰せり。旧氏子区域は上伊保村、田籾村、伊保堂村、殿貝津村、下伊保村、挙母町、宮口村、本地村、千足村、土橋村、梅坪村、金谷村、下市場村、下林村、長興寺村、今村、山室村、福谷村、黒笹村、莇生村、三好村、西一色村、福田村、明知村、打越村の25町村なりしが、明治15年頃挙母町ほか10余町村は挙母神社氏子へ分区せり。例祭は陰暦9月10日なりしが明治維新より陽暦10月15日に改む。特殊神事には鎮火祭、御粥占豊年祭あり。例祭には奉納献馬棒ノ手、空砲等の行事を慣行し氏子下各村提灯をもって参拝する例ありし。今般氏子一同より本殿再建の建議なり、昭和39年11月吉日仮遷宮。昭和40年3月23日夜御殿入り、翌24日完終了。 昭和40年3月吉日誌 射穂神社社務所 −『平成祭データ』− |
【 射穂神社 (豊田市) 】