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國玉神社
くにたまじんじゃ
静岡県伊豆市小土肥669
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式内社 伊豆國那賀郡 國玉命神社 |
静岡県伊豆市にある。
伊豆半島の西側、土肥温泉の北にある小土肥に鎮座。
小土肥大川の河口付近。
17号線(沼津土肥線)から、小土肥大川に沿って
少し東へ入った場所。
17号線からも、社域の小さな杜を見ることができる。
川沿いに走る道の傍らに、田に囲まれた境内がある。
道路から、緩やかな坂道を下ると境内。
境内の中央に、コンクリートか漆喰の社殿がある。
創祀年代は不詳。由緒も不詳。
文亀九年の棟札が残っているようで、
『伊豆国神階帳』に「従四位上 国玉姫の明神」とある古社。
式内社・國玉命神社の論社でもある。
ただし、延喜式神名帳伊豆国那賀郡には、
國玉命神社が二社記載されており
どちらの國玉命神社であるかは不明。
延喜式神名帳の記載順と、伊豆国神階帳の記載順には相関があり
以下の対応が見られる。
延喜式神名帳 | 伊豆国神階帳 |
石倉命神社 | いわらい姫の明神 |
國玉命神社 | 国玉姫の明神 |
𤭖玉命神社 | みかたま姫の明神 |
國玉命神社 | もろき姫の明神 |
豊御玉命神社 | とよみ玉姫の明神 |
青玉比賣命神社 | 青玉姫の明神 |
ということで、前者の國玉命神社が当社なのではないかと思う。
祭神は、大己貴命とする説や、国玉命とする説もある。
また、伝承では神階帳にあるように国玉姫命とする。
昔は、境内に「子宝の松」という樹齢数百年の老松があったが、
昭和の半ば枯死してしまったという。
老松は伐採されてしまったが、
その切り口の直径は180cmもあったらしい。
社域 |
社域 | 鳥居 |
社殿 |
境内 | 社殿内部 |
コン吉とキツネ火
古民話に、天城山頂と久能山頂のキツネ城に王様がいた。仲の悪い原因は駿河湾の所有権。天城の駿河湾だ、久能
の駿河湾だと共に一歩も譲らず、常日頃にらみ合っていた。天城の城にはコン吉という美少年王子、久能の城にはコ
ン子という一人娘の姫がいた。二人はいつしか恋心が芽生え、コン吉は泳いで三保の松原、羽衣の松の木陰で愛のひ
と時、いつしか双方の王様に知れ、結婚どころか二人の王様の仲の悪さは増すばかり。二人は家出を誓い、コン吉は
三保海岸から良く見えるキツネ岩にキツネ火を焚き、コン子は故郷の形見に羽衣の松ボックリを口にくわえ、キツネ
火をたよりに八里(三〇k)の海、大土肥海岸をめざし泳ぎ着きました。コン子と白酒(甘酒)に、ぬる湯
コン子は子どもがお腹にあり、疲労と冷えで息もトギレトギレ、驚いたコン吉はコン子を抱き上げ、ぬる湯(天城の
湯)に入れると湯量がコンコンと増えて湧き、白酒(甘酒)を飲ませ体を温め介抱のかいあって、コン子は元気を取り戻
し、この時に口にくわえた松ボックリを湯の河原に落としました。二人はキツネ岩に住みつき、コン吉は体の衰弱が
ひどいコン子に毎日、白酒とぬる湯で母体を温めたので元気になり、無事、子供を産む事ができました。そして、駿
河の国伊豆君澤郡大土肥村狐岩城主となり、仲の悪い二人の王様も孫の笑顔を見て、共に笑顔。コン吉コン子も民に
親しまれ、近郷の里人はいつしか、ぬる湯を後世「子宝の湯」と言うようになり、小土肥温泉の源泉です。国玉神社(お社サン)と子宝の松
樹高 約百尺(三十三m)
湯の河原に、落とした松ボックリが芽をだし、すくすくと大きくなっ
たので誰言うことなく「子宝の松」(樹齢千数百年)と呼ぶようになりま
した。里人は、お産の守り神、国玉姫の命を御神体に、子安の神と鬼子母神をまつり、国玉神社を造り、子孫繁栄、産前産後と赤子の産着初参
り、子供に恵まれない人、四百四病の難病非行悩みごとは、子宝の松に
抱きつき参拝祈願すると子どもが授かり、悪魔を御払いする御社サンの
有り難い神話があります。桃の節句には、身も心も白く清める参斗八升
の甘酒を奉納し、「甘酒祭」をして童の育成祈願をしております。昭和46年頃の子宝の松
アスネロの樹とチンタチ草
この里には、槙の樹を「アスネロ」、明日葉を「チンタチ」と言う方言がある。千数百年の年月、里人の幸福を授
け、昭和半ばに枯死した子宝の松は鬼子母神となり童の育成を願っている。境内には槙アスネロの大樹と原野に明日
葉チンタチ山菜が多く生えていて、里料理に授かりいつしか「子宝と夫婦の仲はチンタチを食べてアスもネロ」と夫
婦花嫁のお参り、赤子の産着祝いに夫婦重ね餅を奉納、商売繁盛、豊作大漁、福に授かる祈願、長寿と足腰痛の礼参
り、槙の大樹を抱く参拝者が多くなりました。近年、境内に愛をささやく若者が増え、恋の芽生えは「縁結び」に御
利益が授かる「御社サン」参りと近郷の里人に愛されている「国玉神社」鎮守の御宮です。「子宝の松」弐代目誕生
記念に「アスネロの樹」と命名、祝七五三〆(シメ)縄を奉納しております。大土肥と土肥
古伝説に金山奉行土肥金山街人の数が多く、大土肥は代官村郷で人の数が少ない。勢力争いの根源は川の手長海老
を大土肥はガンジャ、土肥はジャンガ、川の小魚を大土肥はカアジ、土肥はモクンチョといまだに双方意地の張り合
い。キツネ岩近くに勝負ヶ平の地名がある。どっちが本当か勝負したが未だに決着がついた話はないが、人数の多い
金山街を土肥、人数の少ない村郷を小土肥と円満決着したキツネ頓智古話もあります。後日、町政合併で土肥町にな
り現在は伊豆市小土肥になりました。−境内案内板− |
【 国玉神社 國玉神社 (伊豆市) 】