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葦神社
あしじんじゃ
三重県伊賀市上阿波2665
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式内社 伊賀國山田郡 葦神社 |
三重県伊賀市にある。
津市と伊賀市を結ぶ伊賀街道(163号線)から少し北へ入り、
河沿いに東へ進むと南向きの境内がある。
参拝日は秋祭りの準備で、境内には軽トラックなども停まっていた。
周囲には樹木が生茂り、社前の谷には清流が流れる、そんな神社。
社伝によると、
孝霊天皇3年、当地の東5Kmにある伊勢伊賀境の
黒岩峯(655m)に顕現し、三船明神と相殿となっていたが、
垂仁天皇33年、鮫ヶ原三女垣内に遷座し、粟皇神淡護明神と称した。
その後、神功皇后三韓征伐の後、高良命が勅命により、宮を三所に分け、
大國主神・事代主神を芦谷へ祀り、葦神社とし、
天日方命・奇日方命を別府へ祀り、別府宮とし、
市杵嶋姫命・田心姫神・湍津姫命を三女垣内に祀り、粟皇神とした。
承平7年(937)に大地震により、三社とも破損、
後、天暦3年(949)、現社地に三所を合祀し、
葦神社七王子淡護大明神と称した。
天和年中、葦神社八王子淡護大明神となり、
宝暦年中、三所の旧号を合わせて、葦神社粟皇神別府宮。
明治になって、葦神社と改称した。
というわけで、延喜式の頃は、
三所の一つ、葦神社が式内社になったようだ。
ところで、別府宮に祀られたという天日方命・奇日方命だが、
本来は天日方奇日方命という一人の神だと思う。
明治三十八年、白鳥神社など六社を合祀し、
明治四十一年、五社八幡神社など三社を合祀して
祭神も多彩なのだ。
拝殿の後方に本殿があるが、覆屋の中。
垣の中にあって、うまく撮影できなかった。
拝殿内の幕には、桐紋。
境内社殿 |
拝殿 | 社殿 |
境内社? | 本殿 |