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来振神社
きぶりじんじゃ
岐阜県揖斐郡大野町稲富字白山2586
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岐阜県の大野町にある。
樽見鉄道・本巣駅から根尾川を越えて2Kmほどで大野町へ。
そこから北へ2Kmの稲富に鎮座。
道路のそばに、参道入口の白い鳥居が立ち、
白い参道の向こうに、白い社殿が見える。
晴天の青空の下では、まるで外国の宮殿のような雰囲気。
参道の西側は、ふれあい公園となっており、
200mほどの参道には木が一本もない、
非常にオープンな神社だ。
参道を進むと、石垣の上に境内があり、
境内の中央に拝殿。拝殿の後方、階段の上に本殿がある。
が、とにかく白いのだ。
社伝によると、神亀二年(725)の創祀。
六月十八日の明け方、
現在地の北西にあった白山と呼ばれた山(317m)の山頂に、
黄金色の雪が一尺あまり降り積もり、
白山比咩神の降臨との神託があり、
山頂に宮社を建てて祀ったという。
同時に、永正祭祀のため、
山の麓にあった新福寺を来振寺と改称したらしい。
降臨の山が、白山と呼ばれたのは、
石灰質の岩肌のせいだったようだが、
白山信仰が広まるとともに、
白山を遥拝する山として、来振白山権現と呼ばれ、
上記の伝承が成立していったと思われる。
その白山は、明治以降、良質の石灰の産地となり、
石灰採掘のため、セメント会社と氏子の協議の結果、
昭和四十三年、当社は、山麓の現在地へ遷座させられ、
白山そのものも、すでに見ることができなくなったらしい。
参道や社殿が、白いコンクリート製なのも頷けるが、
境内の異様なオープンさが、空虚に感じられるのも、
また、当然かもしれない。
朝もよし きふりの神の御いつには ゆたかにみのる稻とみの里 源延通
当社の本殿の屋根に、九曜紋が付けられていた。
歴代藩主戸田家の崇敬が篤く、社殿の営繕が続いたらしいので、
戸田氏の家紋を用いているのだと思う。
鳥居 | 鳥居と参道 |
社殿 |
境内 | 社殿 |
式内 来振神社
揖斐郡大野町稲富字白山二五八六
−境内石碑より− |
「美濃国神名帳」に、来振と名の付く神が三社記載されている。
正二位 來振大神
正五位上 來振明神
正六位上 來振比女神
來振大神は、当社・来振神社だが、
來振比女神は、白山山頂の來振大神に対し、その麓に鎮座する姫神。
今は姫宮神社と称し、山麓に遷座した来振神社のすぐ近く。
祭神は、白山比咩神。
岐阜県揖斐郡大野町稲富字上更地
姫宮神社 | 社殿 |
來振明神は、当社・来振神社の真南3.5Kmの地に鎮座する
白山神社だと考えられており、
祭神は、伊邪那美命 伊弉諾命 菊理姫命。
だが、当社とは、どのような関係があるのだろうか。
岐阜県本巣市数屋
白山神社 | 社殿 |
白山神社 郷社例祭日 三月十九日
−白山神社境内石碑より− |