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廣瀬神社
ひろせじんじゃ
静岡県伊豆の国市田京1−1
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式内社 伊豆國田方郡 廣瀬神社 |
静岡県伊豆の国市にある。
伊豆箱根鉄道・田京駅の南1Kmほどの田京に鎮座。
136号線(下田街道)の三福I.C.の東200mほどにある
交差点に境内入口があるが。
川沿いの道が少し高い位置にあるようで、階段を下りて参道を進む。
参道入口には石鳥居が建っており、
横に「縣社廣瀬神社」と刻まれた社号標が建っている。
鬱蒼と茂る樹木に囲まれた参道を進むと石橋があり、参道脇に御神馬像。
さらに進むと広く明るい境内。
境内中央に、瓦葺入母屋造の大きな拝殿があり
拝殿の後方に流造の本殿。
社殿の後方には、唯一の境内社・祖霊社が祀られている。
参道には木々が多く、広瀬神社の杜として文化財に指定されているゆおだ。
境内の右手奥にも大きな木があり、御神木の楠がある。
創祀年代は不詳。
慶長元年の棟札によれば、天平年間の創立という。
古来、田中五カ村の総鎮守として崇敬され
福沢大明神、深沢大明神と称してきた大社。
祭神は、溝樴姫命と不詳の祭神二神。
溝樴姫命は、三島溝樴耳命の御女。
三島大神の后神で、神武天皇の皇后・姫蹈鞴五十鈴姫の生母神。
よって従一位の神階を与えられ、
往古、三十六人の禰宜と六坊の供僧を置き、
淳和天皇天長年中には、三島大明神の神殿に擬した神殿を造営。
寛永年中の文書には、伊豆国五十六社に一に数えられ
北条時政以来、神田八町八段五十歩の神領を領したという。
天正十八年、兵火に罹り、社殿を焼失し衰退。
神主西島出雲一人が焼け跡に残り祭祀を継続。
慶長元年に社殿が再興され、
寛文九年、貞享四年、享保八年、明和九年に修営された。
明治六年郷社列し、深沢神社と称したが
明治二十八年、廣瀬神社と改称し、明治三十二年県社に昇格した。
式内社・廣瀬神社の論社の一つ。
社伝によると、三島大社が下田から当地に遷座され
後に、現在の三島へ遷ったとあるが、
それにしては、当社が古来からの大社過ぎるという説もある。
明治二十年頃の『豆州式社考案』には、
当社を式内社・軽野神社としているが根拠は不明。
参拝時に神紋は確認できなかったが、
『全国神社名鑑』には五七桐と記されている。
三島系の神社なので、桐紋が神紋なのだろう。
現在、境内社は社殿後方の祖霊社のみだが、
以前は三島大神の后神六柱を祀る見目神社
(波布比賣命 久爾都比咩命 伊賀牟比咩命 佐伎多麻比咩命 伊波乃比咩命 優波夷命)や、
大楠神社、小楠神社、若宮神社、厳島神社、稲荷神社などがあった。
現在は全て本社に祀られているらしい。
境内入口 |
参道 | 参道 |
境内 |
境内 | 社殿 |
本殿 | 拝殿 |
御神木の楠 |
参道の神馬像 | 祖霊社 |
境内右手、祖霊社横の木 |
広瀬神社の杜(森)
延喜式内社であり、神階帳従一位広瀬の明神と
いう。祭神は、溝樴姫命外二神。見目神社・龍爪
神社など八社を合祀、祖霊社を祀っている。田方
一の大社である。社伝によれば、三島大社はその昔下田の白浜か らこの地に移り、後に三島に遷祀したという。 天正十八年(一五九一)豊臣秀吉による韮山城 (北条氏)攻めの際兵火に遭い社殿ことごとく焼 失している。慶長元年(一五九六)に再建、江戸 時代には深沢明神として崇敬された。明治二十八 年(一八九五)より広瀬と称える。 例大祭は、毎年十一月三日に行われ、大仁町指 定無形文化財の式三番が奉納される。 境内には、クスノキ・ムクノキ・ケヤキ・カヤ ノキ・マキノキ・スギなど多くの樹木がある。ま た、海浜性のヒメユズリハ・モクレイシ・トベラ など注目すべきものがある。 −境内案内− 当社は延喜式神名帳に従一位広瀬明神と有る式内社である。 その創建年月詳らかならずといえども、天平五年(七三三年)と伝う。古来より田中郷五ヶ村の総鎮守で社伝によれば往古社殿は金銀をちりばめ壮大にして禰宜三十六人、供僧六坊を置き、神領八町八反大五十歩永八十貫文を充てられ、隆盛を極めたが天正十八年(一五八九年)豊臣秀吉の小田原征伐の際、兵火により社殿、宝物源頼朝、北条時政等の社領寄進状も焼失したと慶長元年(一五九六年)及び寛永十年(一六三三年)の棟札に記されている。所領を失いその後、伊豆国全州の勧進を以って再興され、次いで寛文、亨保、明和年間に修営がおこなわれた。慶長元年の上梁文に「福沢大明神」と有り、寛永以降は「深沢明神」と記されている。明治六年八月郷社に列し「深沢神社」と称したが明治二十八年五月十八日、現社号「広瀬神社」に復称し明治三十二年六月県社に列した。 例祭は、旧五ヶ村現田京、御門、白山堂、守木、宗光寺の五区により斎行され神輿渡御、稚児行列、式三番叟等行われ六台の山車引き回しにより勇壮な「深沢ばやし」が奏でられる。 広瀬とは、狩野川、深沢川の合流点にて瀬の広き所と伝う。 境内社 祖霊社(見目社、大楠社、若宮社、厳島社等数多く有ったが全て本殿に合祀) 特殊神事 御田植祭(七月十五日)御神木「大楠」に早苗を投げ上げ枝に留まる苗の多い年は五穀豊穣とされる。 氏子 一千六百戸 境内 二千七百八坪 昭和五十九年「神社振興対策指定神社」神社本庁 昭和六十年「ふるさとの自然百選」静岡県 平成元年「天然記念物」杜 大仁町 −『平成祭データ』− |