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雷電神社
らいでんじんじゃ
三重県伊勢市小俣町本町
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式内社 伊勢國度會郡 雷電神社 |
JR参宮線宮川駅から南西500mほど、掛橋の街中にある。
道路が工事中のため、狭い路地を何度も曲がり
地元の方に案内され、やっとたどり着いた。
境内は、狭く暗い。掛橋の氏神のようだ。
ブロック塀の玉垣の前に、「雷電神社御遷宮記念」の石柱がある。
創祀年代は不詳。
式内社・雷電神社の論社。
江戸時代、掛橋地区には紀州藩領と鳥羽藩領があり、
紀州藩領には、春日社があり「表の宮」と称し
鳥羽藩領には、当社・雷電神社があって「裏の宮」と称されたという。
また、「八王子」とも称されたという。
明治四十三年、小俣神社と改称した八柱神社に合祀され、
さらに、小俣神社は官舎神社に合祀されてしまったが、
昭和二十八年、元の社地に復興されたという。
社頭 |
境内 | 社殿 |
江戸時代、掛橋地内は紀州藩と鳥羽藩に
分かれてをり、紀州藩領の神社として春日社があり「表の
宮」と称してゐた。一方、鳥羽藩領には雷電神社があり「
裏の宮」または「八王子」とも称してゐたと伝へられる。 (略)一方裏の宮、すなはち雷電神社の方は 『小俣町史』によれば「各神社合祀の外神社明細帳脱漏神 社」八社の内に挙げられてをり、これら八社は明治四 十三年四月五日に小俣神社と共に官舎神社に合祀になつ た。 ともかく神社が合祀された後も、春日神社の氏子は山の 神を、雷電神社の氏子は山の神と八王子社を祀り、御頭 神事を、元の神社の財産で各氏子別々に祭祀を継続してゐ た。その後、昭和二十八年の頃、当時の宮司がもと八王子 社の社地を「雷電神社」として社殿を復興し、春日神社の 氏子とも合同で祭祀を執り行ひ今日に至つてゐる。 −『式内社調査報告』− |
【 雷電神社 】