[HOME] > [神社記憶] > [東海地方] > |
|
伊那上神社
いなかみじんじゃ
静岡県賀茂郡松崎町宮内37−1
|
||
式内社 伊豆國那賀郡 伊那上神社 |
静岡県松崎町にある。
松崎町役場の東300mほどの宮内に鎮座。
松崎港の近く、那賀川の河口部にも近く、
136号線に面して境内入口がある。
参拝日は、正月元旦の早朝で、日が昇り始めた頃。
境内には迎春のため、紅白の幕が張られており
提灯にも灯りがともっていた。
参道を進むと、真っ赤な鳥居が建っている。
鳥居前で参道が左手にも分かれているが
左手参道の先には忠魂碑が建っている。
参道を進み鳥居をくぐると正面に入母屋造瓦葺の拝殿。
拝殿の後方に本殿の覆屋があり、中に本殿が鎮座。
本殿前には鏡餅が置かれていた。
本殿前に置かれていた、朱の火袋のある黒い灯籠が美しい。
朝日を背にした時刻の参拝だったため、
逆光で写真としても暗めになってしまったが、
全体として色を抑えた落ち着きのある神社だ。
創祀年代は不詳。
社伝によると、嵯峨天皇弘仁八年(817)伊予国越智郡の
三島大明神(大山祇神社)から遷座したとも、
伊豆国府三島から遷座したとも伝えられている。
『式内社調査報告』によると、
造船技術に長けていた帰化人である猪名部一族が
当地に流れ着いて伊那という地名になり
その産土神として祀った神社であろうという。
500mほど南西に伊那下神社が鎮座しており
当社は上の宮とも呼ばれている。
往古、奥伊豆第一の大社であり、式内社・伊那上神社の論社。
伊豆国神階帳に「従四位上 いなかミの明神」とある古社。
承安三年(1173)、伊豆へ流されていた源頼朝が
当社に参詣して開運祈願し、以後、将軍家の崇敬が篤かったという。
天正年間に大化によって、本社以下八十余の末社も焼失。
時の祠官金差義長が再建したが、慶長年間に再び火事になり
社宝、古記録等を焼失した。
その後、再建され、明治六年八月郷社に列した。
慶長十三年(1608)三月、大久保石見守長安が
当社に金燈籠を奉納したが、そこに「那賀神社」と記されており
当社を、式内社・仲神社、式内社・仲大歳神社と考える説がある。
拝殿には巴紋を染めた幕があり、提灯にも巴紋が描かれていた。
境内 |
鳥居 | 境内 |
境内社殿 |
覆屋 | 覆屋 |
本殿 |
−境内案内板− |