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倭姫宮
やまとひめのみや
三重県伊勢市楠部町
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御幸道路を挟んで、皇学館大学の西にある。
周辺には神宮徴古館や神宮美術館、神宮農業館など。
大鳥居のすぐ北の交差点に入口の鳥居があり、参道が続く。
『日本書紀』崇神天皇六年の条に、それまで天皇の大殿内に並び祀られていた
天照大御神と倭大国魂を、神の勢いを畏れて、
天照大御神を豊鋤入姫命に託して倭笠縫邑に磯堅城神籬を立てて祀らしめ、
倭大国魂を渟名城入姫命に託して祀らしめた。
その後、垂仁天皇二十五年、天照大御神は豊鋤入姫命から倭姫命に託された。
倭姫命は、大神の鎮座すべき場所を探し、
宇陀の篠幡から、近江国、美濃を経て伊勢国に至った。
その時、天照大御神は「伊勢国はしきりに浪の打ち寄せる美しい国である。
この国に居りたいと思う」と告げられたので、
五十鈴川のほとりに祠を建てた。これが伊勢の神宮の創祀。
この伊勢の神宮創建に御尽力された倭姫命を祀る神社。
大正の創祀で、新しいのだ。
入口は目立たないが、参道は広く、木々も繁っていて、
別世界に入って行く感じ。良い。
突き当たりの階段を上ると社殿が見えてくる。
倭姫宮から外宮方向へ300m、左手に、倭町へ登る坂。
その坂を登りつめて左側山林に倭姫御陵墓参考地があるらしい。
御幸道路にある神宮の大鳥居 |
参道入口 | 参道 |
境内 |
社殿 | 正殿 |
[追記]
最初の参拝は2000年だったが、
2013年に伊勢神宮内宮、外宮の式年遷宮が終了。
2014年に新しい神宮へ参拝した際に、倭姫宮にもお参りした。
倭姫宮の遷宮は2014年に予定されており、
境内では新しい社殿の建造中。
現在の社殿の右手の敷地にテントで覆いがされて工事は見えないようになっている。
2014年、参道から社殿 |
老朽化した社殿と、右隣りに建造中の社殿 |
倭姫宮 天照坐皇大御神のご遷幸に供奉して、皇大神 宮を五十鈴の川上にご創建申し上げたご功績のあった倭姫命 (第十一代垂仁天皇皇女)をお祭りする皇大神宮の別宮 である。こうして大きなご事績をお残しになり、またこの 伊勢の草わけの姫神であったにもかかわらず、大正時代ま では、後に述べる倭姫命のおかくれになった御陵墓の伝説 を残すだけで、倭姫命をお祭りする宮社がなかった。この ことを大変残念に思い、神宮ならびに地元の宇治山田市(今 の伊勢市)の人々の宮社創立の熱望が実を結び、大正十二 年十一月五日ご鎮座がおごそかに行われた。 神宮の宮社はすべてご由緒が古いのであるが、当宮だけ は、こうした特別の事情のため、ご創立が新しいのである。 当宮を崇敬する地元の人々が中心になって「御杖代講(みつえしろこう)」(倭 姫命が皇大御神の御杖代として奉仕せられたということに よる名称)が結成され、毎年十一月五日礼典が奉仕され、 神賑行事も行われている。 倭姫命御陵墓参考地 倭姫宮から御幸道路を外宮方面へ三〇〇メートルほど戻ると左側 に倭町へ上る坂がある。その坂を登り詰めた所の左側、山林の中に倭姫命の御陵と伝えら れる墳墓がある。 江戸時代、この地域に常明寺、神落萱社などがあって、神宮とも関係の深い所である が、この一隅に前方後円墳と思われる古墳の廃墟がある。これを尾上御陵(おべごりょう)といって、倭姫 命のご陵墓であると伝えられ、昭和三年十月、宮内省から「倭姫命御陵墓参考地」に指定 された。伝説にとどまり、はっきりとした史料がない。倭姫命顕彰会の人々赤誠がみの り、昭和三十六年四月、ご陵墓が宮内庁の手によって整備された。 −『お伊勢まいり』− |
【 皇大神宮別宮 倭姫宮 】