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豊鍬入媛命 |
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豊鍬入媛命
とよすきいりひめのみこと
別名
豊鉏入日売命:とよすきいりひめのみこと
豊鋤入姫命:とよすきいりひめのみこと
……
とよすきいりひめのみこと
別名
豊鉏入日売命:とよすきいりひめのみこと
豊鋤入姫命:とよすきいりひめのみこと
……
- 第十代・崇神天皇は、木(紀)国造である荒河刀弁の娘・遠津年魚目目徴比売を妻として
豊木入日子命と豊鉏入日売命の男女二人をもうけられた。
豊木入日子命は上毛野の君、下毛野の君等の祖となった。
豊鉏入日売命は、伊勢皇太神宮の祭主となった。
- 『日本書紀』によれば宮中に奉斎されていた天照大神・大和大国魂神を崇神天皇の御代、
同殿共床の神威を畏み天照大神を皇女豊鍬入姫命に勅して倭の笠縫の邑に、
大和大国魂神を皇女渟名城入姫命に勅して大市の長岡岬に奉遷した。
- 皇女豊鍬入姫命はさらに大宮地を求めて丹波、大和、紀伊、吉備などの各地を巡り、
ついで第十一代・垂仁天皇の御代、皇女倭姫命が代わって大御神さまにお仕えし、
大御神の永遠にお鎮まりになるべき大宮地を求めて、各地を苦心してご巡幸されたのち、
「この地は、朝日夕日の来向ふ国、浪音の聞えざる国、風音の聞えざる国、弓矢・鞆の音
聞えざる国、大御神の鎮まります国ぞ」
と申されて、垂仁天皇二十六年九月、伊勢の五十鈴川上の現在の地にお鎮まりなった。
その後、代々皇女が神宮の司祭に選任されている。
【 豊鍬入媛命:玄松子の祭神記 】