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魚海神社
うおみじんじゃ
三重県松阪市川島町183  Zenrin Data Com Maps display !!

式内社 伊勢國多氣郡 魚海神社二座
旧村社

御祭神
豊玉彦命 豊玉姫命
月讀荒魂命 天之忍穗耳命 須佐之男命 大山津見尊

三重県松阪市にある。
松阪駅の東7Kmほどの川島町に鎮座。
23号線を東へ進み、櫛田川にかかる松阪東大橋を渡り南へ下った場所。
櫛田川の右岸、田畑に囲まれた場所にある、こんもりとした杜が当社の境内。

境内入口は東向き。
鳥居をくぐると正面に「魚海社跡」と刻まれた石碑が立っている。
当社は明治四十二年一月十一日に一度、六根町にある大国玉神社に合祀されたが、
氏子の総意によって昭和十年三月十一日に古社地に分祀再興された神社。
「魚海社跡」の石碑は、その頃の名残なのだろう。

その石碑から右手(北)に鳥居があり、奥に社殿がある。
よって当社の社殿は南向き。
瓦葺の拝殿の奥に、瑞垣に囲まれて神明造の本殿がある。

創祀年代は不詳。
社伝によると、垂仁天皇御代、倭姫命が天照大神を奉載し、
大神御鎮座の地を探して櫛田川を下っていた時、魚が自然に集まって
御船に飛び込んできたのを、倭姫命が大いに喜び、
この地に魚海社を創祀したという。

川島町の南にある魚見町鎮座の魚見神社とともに
式内社・魚海神社の論社とされる古社。

延喜式には魚海神社二座とあり、
当社では豊玉彦命豊玉姫命の二柱とされている。
ただ、一般に豊玉彦命は豊玉姫命の父神とされているが、
拝殿内の由緒書では、豊玉姫命の夫神である彦火々出見尊と記されている。

合祀の月読荒魂命は、神宮の別宮に祀られている神だが、
『倭姫命世記』によると飛鳥宮(天武天皇)の御宇、
魚見神社に奉遷したと書かれているらしい。

月読命は壱岐の月讀神社に祀られている代表的な神。
豊玉姫命は対馬の和多都美神社に墳墓がある神。
よって、なんらかの繋がりがあるのかもしれない。

当社は明治五年三月十一日に村社に列せられたが、
明治四十二年に大国玉神社に合祀され、
その後、古社地に分祀再興された。


社地

魚海社跡の石碑

境内鳥居

境内

拝殿

扁額

本殿

本殿

延喜式内 魚海神社
御祭神
主神
豊玉姫命(龍宮 彦火出見尊后)
豊玉彦尊(彦火出見尊)
月読荒魂尊(月の神)
天之忍穗耳命(天照大神の御子)
明治三十一年四月十間通り宇気比神社 奥垣内〃合祀
須佐之男命
明治三十一年四月古屋敷須賀神社合祀
大山津見尊(山の神)
御由緒
垂仁天皇御代二三年二月一一日倭姫命 天照大神を奉載し大神御鎮座の地を さがし、求め櫛田川を下られて此の地に御幸 せられし時
「御船に乗りたまいて入江にこられし時潮引きて 干潟となる※魚自然に集まりきたりて御船に とびこみたり。命これを見給うて大いに喜 ばれ、魚海社をこの地に定めたまわった。
(倭姫世記大神宮本記より訳文)
当社御創設始は天照皇大神伊勢の地に御鎮座 ましませるよりさかのぼること三年八ヶ月前なり
附記
海の魚を見て喜び給い此處に天照皇大神 御拝所並に龍宮の神豊玉姫命を祀られ 此の日を記念して今も神宮においては海幸 祭をとり行われている
天武天皇御神託により七年一一月一一日月読荒魂尊を 魚海神社に奉遷合祀された。
(伊勢二所ノ四王天神鎮座伝記神記)

−境内由緒書(※は何かの略字のようだが読めなかった)−



【 魚海神社 (松阪市) 】

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