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引手力男神社
ひきたぢからおじんじゃ
静岡県伊東市十足150
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式内社 伊豆國田方郡 引手力命神社 |
静岡県伊東市にある。
伊豆急行・南伊東駅の南6Kmほどの十足に鎮座。
12号線を南下し、351号線に入ってさらに3Kmほど。
十足に入って、351号線の西に少し入った場所に境内がある。
参道入口は南東向き。
民家の間の生垣の参道を進むと、石の鳥居が立っており、
鳥居扁額には「式内 引手力男神社」と刻まれている。
鳥居をくぐり、川にかかる宮橋を渡ると境内。
境内入口に両部鳥居があり、参道左手に手水舎。
背の高い木々に囲まれた境内の奥、
石組の上にコンクリート造らしい社殿が鎮座している。
拝殿も本殿も神明造で新しく、
境内には砂利が敷き詰められて、綺麗に維持されているようだ。
創祀年代は不詳。
社伝によると、
もとは、現在地の西3Kmほどの手力山の樹林の中に在って、
文武朝に役小角が伊豆国へ流された折
ひそかに山中に入って、通法の修行をおこなった所だという。
当地の人々は、かつて炭焼きを生業とし、
山谷を活動の場としていたという。
近世になって、慶安五年、現在地に遷座され、
婦人安産の守護神として崇敬されるようになったという。
以前は、十足の山神とも「タチカラノミコト」とも称されていたようだが
明治二年、引手力男神社と改称した。
昭和二十五年、火災により焼失。
その後建立した木造の社殿が朽ちたので
昭和五十一年、コンクリートの社殿を建立したらしい。
式内社・引手力命神社に比定されている神社。
引手力命神社の所在地については四説あり、
その1は、当社、手力山にあった社。
その2は、沼津の大瀬崎とする説。
その3は、熱海錦ケ浦の洞窟とする説・
その4は、引手から変化したとして肥田とする説。
社殿の右側に境内社が一つ。
『式内社調査報告』には、境内社として
水波能女神社、金桜神社の名が記されている。
参道 | 鳥居 |
宮橋 | 境内鳥居 |
境内 |
社殿 | 本殿 |
引手力男神社
由緒
創建の時代は詳かでないが、慶安
五年に修造された棟札や、伊豆誌
によると、当神社は本村手力山よ
り現在地に遷祀されたことが記さ
れ、その記録の中に、当時の手力
山の地形が詳らかに綴られ、樹林
の中に建立する石造りの小祠は、
今尚千古の社跡を回顧させている
往昔文武天皇の御代、役小角が大
島に遠流の折、此の山に来て、通
法を修業した由が記されている。
明治二年現社号に改称された。−境内案内板− |