[HOME] > [神社記憶] > [東海地方] > |
|
中屋神社
なかやじんじゃ
岐阜県加茂郡白川町中川420,421
|
|
岐阜県加茂郡白川町にある。
高山本線の白川口駅から北東へ9Kmほどの中川に鎮座。
飛騨川の支流・白川沿いに走る白川街道(62号線)を進むと、
道路の北側に、参道入口があり「中屋神社」と刻まれた社号標が立っている。
車は通れない狭い参道を北へ進むと、正面、丘の中腹に鳥居が見えてくる。
階段を上り神明鳥居をくぐって、さらに階段を上ると中屋集会所がある。
鎮座地の住所は中川だが、地図を見ると当社周辺は中屋と記されている。
小字が中屋ということだろうか。
その中屋集会所の右手に参道階段が上へと続き、階段を上ると当社の社殿。
集会所が参籠所や社務所を兼ねているようだ。
社殿は丘の斜面に建てられており、比較的新しい拝殿の後方に流造の本殿が鎮座している。
山間部や地方の神社の多くは、当社のように丘の斜面に神社が鎮まって、
神様が集落や田畑を見下ろしているようだ。
創祀年代は不詳。当社に関する詳細な由緒も未確認なのだ。
岐阜県神社庁のサイトを眺めていた時に、
「美濃國神名帳に中屋神社とある本社なり」という一文を見て参拝してみた。
僕が持っている『国内神名帳の研究 資料編』(三橋健著)には中屋という神社は載っておらず、
賀茂郡に「正五位上 中都家明神」という神社がある。
この本は不破家所蔵本を底本にしており、写本によって異同や文字の異なるものもあるのだろう。
ということで、当社は「美濃國神名帳」に記載されている古社なのだと思う。
岐阜県神社庁サイト記載の由緒によると、
昔、社地が崩壊して当社は大破してしまったが、
元和七年(1621)再興されて白山権現と称し、
明治維新の際に権現号を廃しの公布に依り、中守神社と改称。
後、明治四年十二月旧号中屋神社と復称したという。
拝殿の右手には、境内社の小祠と御嶽大権現の石碑。
岐阜県神社庁サイトでは摂末社祭神として大名牟遅神の名が載っているので
大名牟遅神を祀る祠(御嶽大権現)なのかもしれない。
ちなみに『平成祭データ』では、大名牟遅神は本社に合祀されているとある。
参道入口と社号標 |
参道から社域 |
鳥居 | 中屋集会所と参道 |
参道階段 | 階段上に社殿 |
境内社殿 |
本殿 | 境内社 |
創立年月不詳。美濃國神名帳に中屋神社とある本社なり。
年度不詳、此の地崩壊して神社大破に及ぶ。
元和七年再興して白山権現と称す。
明治維新の際権現号を廃しの公布に依り、中守神社と改称す。
後明治四年十二月旧号中屋神社と復称す。 |