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浅間神社 丸子神社
せんげんじんじゃ まるこじんじゃ
静岡県沼津市浅間町4  Zenrin Data Com Maps display !!

浅間神社

桜花

丸子神社

月に稲穂

式内社 駿河國駿河郡 丸子神社
旧県社

御祭神
浅間神社
木花開耶姫命
配祀 瓊瓊杵尊 彦火火出見尊

丸子神社
金山彦命
配祀
國常立尊 大山咋命 豊受姫命 宇迦之御魂命 素盞嗚命 稻田姫命
大國主命 少彦名命 事代主命 大物主命 火之迦具土命 猿田彦命
日本武尊 菅原道眞 平將門 大己貴命 思兼神

静岡県の沼津市にある。
沼津駅の南1Kmほどの浅間町に鎮座。
163号線に面して南向きの境内。

参拝は、年末12月30日、早朝。
街は、そろそろ明るくなり始める頃。
境内入口には、多くの提灯がぶら下がっていたのは、
いつものことなのか、年始準備のためか。
そういうわけで、入口鳥居の写真が撮れなかった。

境内に入り、参道を真っ直ぐ進むと正面に社殿。
本殿には(未確認だが)二つの扉があり、
当社は、浅間神社と丸子神社を合せた神社。

鳥居扁額や、拝殿扁額には、
左に浅間神社、右に丸子神社の名が記されており、
賽銭箱にも、左に桜紋、右に稲紋が付けられていたので、
多分、左の扉が浅間神社、右の扉が丸子神社なのだろう。

当社は、元々浅間神社が鎮座していたが、
明治になって丸子神社が遷座され、
一緒に祀られるようになった神社。

丸子神社の古社地には今も社殿が建てられており、
当社の御旅所となっているらしい。
丸子神社は、式内社・丸子神社に比定されている古社。
社伝によると、崇神天皇の御代に創祀されたという。
室町末期には戦火のために社殿を焼失。
江戸時代に復興し、境内は八町八反四方、社領五百三十石、
社家八十六人を数えるほどとなった。
天保二年(1831)、社殿焼失により
浅間神社の相殿となり、
明治十年二月、浅間神社社殿再建の時に正式に奉遷された。

浅間神社の創祀年代は不詳。
一説には延暦二十年(801)、坂上田村麿東征のおり、
本宿狩野川の右岸(宮町)に鎮座され、
寛治年間源義家によって造営。
建仁三年(1203)六月現在地・浅間町に遷座された。
古くより縁結びの神、安産の神として信仰を集めている古社。

境内は広く、綺麗に整備されていて気持ちが良いが、
個人的には、もっと大きな木々が欲しい。


社域

参道鳥居

境内

境内社殿

本殿

拝殿


浅間神社要略
浅間神社は第五十代桓武天皇の御代延暦二十年坂上田村麻呂が東征凱旋のおり、狩野川の右岸(現 沼津市宮町)に始めて奉斎したといわれており、その後第八十三代土御門天皇建仁三年に現在地浅間町に御遷座いたされました。
当神社は参勤交代の折、諸大名の多くが参拝して幣帛を献じ武運長久・道中安全を祈願された御由緒があり、また古くから縁結び・安産の神として地域から厚く信仰されております。
御例祭は毎年九月十五日に行なわれ、遠近にも浅間祭として有名であります。

丸子神社要略
丸子神社は沼津市内では由緒ある古い神社であります。当神社は第六十代醍醐天皇の延喜式神名帳に所載する『式内神社』であり第十代崇神天皇の御代に創建されたといわれております。
旧社地は駿河国沼津堂敷免(現 沼津市丸子町)に始めて奉斎鎮座されましたが、明治十年十二月に現在の浅間神社に御遷座いたされ一扉二社となったのであります。
当神社は第六十二代村上天皇の天暦年間には天下太平御祈願所、第九十六代御醍醐天皇の建武二年には武運長久永代祈祷所を仰付けられ、くだって明治元年十月七日には明治天皇が当地を御通輦のみぎり官幣使を御差遣になされたご由緒があります。

−『平成祭データ』−



【 浅間神社 丸子神社 (沼津市)(印刷用ページ) 】

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