[HOME] > [神社記憶] > [東海地方] > |
|
花垣神社
はながきじんじゃ
三重県伊賀市予野194
|
||
|
三重県伊賀市にある。
伊賀上野駅から南へ8Kmほどの予野に鎮座。
25号線と368号線の中間あたり。
参拝が夕方になったが、社域の黒い森に、真っ赤な鳥居の
コントラストが際立つ神社。
鳥居と神門の間に御神木の「ナナミノキ」がある。
神門をくぐって境内に入ると、正面に北向きの社殿。
境内右手には、「花垣山 池邊寺」と、その隣りに「文殊堂」。
社殿の左手後方奥の林の中にも、御神木の大杉がある。
創祀年代は不詳。
平安時代、一条天皇の御宇、当地の銘樹・八重桜を上献し、
後、桜の周りに垣をめぐらしたことより
花垣の名となったという。
後に、寛弘元年(1004)、春日大社より
春日神が、八重桜を見たいとの仰せにより、
春日神を奉遷して祀ったのが、当社の起源という。
よって、もとは春日神社と称していた神社。
明治時代に、三郷神社と改称し、その後、花垣神社となった。
明治四十一年、花垣村桂にあった式内村社・乎美禰神社が当社に合祀された。
が、現在でも桂の地に、境内・社殿が残され祭祀も継続しているという。
また、同年、境内社の神明神社、津島神社、金峯神社、八幡神社、
八柱神社、三柱神社、秋葉神社、桜木神社、稲荷神社、
並びに村内二十二社を合祀し、現在の祭神となった。
もと春日ということで、神紋は下り藤。
社前から左手へ行くと、地名の由来となった八重桜があるらしいが、
参拝したのが春では無かったので、見には行かなかった。
社頭 |
境内 |
社殿 | 池邊寺 |
ナナミノキ | 本殿 | 大杉 |
花垣神社御由緒 当神社は往古より現在地に鎮座ましまし、御祭神経津主神・武甕槌神・天児屋根命・姫大神を大字予野字花前に春日大神と称し、神社明細帳に其の由緒「右社ノ義ハ人皇第六十六代一条院ノ御宇、当村地名花ケ谷ニ一株ノ名樹アリ、是レ八重桜ナリ。即チ此ノ木ヲ上献ス。 而ルニ帝叡覧アツテ深ク賞讃感悦シ給ヒ、宮門内ニ植置給フ。故ニ其ノ後年々当村ノ民族ヲ徴サレ八重桜周囲ニ垣ヲ造ラセ給ヒ、亦花ノ満開七日ノ間宿直ヲ命セラレ是ヲ守衛奉ル。此賞典トシテ以テ公事ノ賦役ヲ許サレ、花垣ノ庄ト地名ヲ賜フ。而後其樹跡ヨリ又一本八重桜生出シテ、数百年ノ今日ニ至リテ尚存セリ。 其ノ所縁ヲ以テ寛弘元年ニ方リテ、南都春日ノ神爾勧請ヲ乞ヒ奉リシニ、速ニ勅許アリテ同年花垣ノ里ニ奉遷シ、則チ当村産土神ト崇敬シ祭祀ノ礼典闕怠ナク重ナリ奉事シテ聯綿歴然タリ。最モ地名五ケ庄トモ又予野トモ称シテ、乃チ予野、治田、白樫、大滝、桂五ケ村ノ冠タル所以ハ、已ニ花垣ノ名称アルヲ以テ也。故今変セス右等ノ邑ヨリ尊崇敬事ス」とある。 後明治四十一年九月十九日許可を得て三郷神社と改称、更に大正十三年十一月十二日許可を得て花垣神社と改称現在に至る。 なお社地の伊賀の八重桜は、昭和十二年十一月二十六日三重県天然記念物に指定せられ、元禄三年の春、松尾芭蕉はこの里に遊んで ひとさとはなもり一里は皆花守の子孫かや の句を残し、その句碑は参道入口の朱塗りの大鳥居の西側に建っている。
−『平成祭データ』− |