蝶は奈良時代から、好んで文様に用いられた。正倉院御物の遊猟絵文様には、すでにこれが描かれている。平安・鎌倉時代には、盛んに衣服・調度に使われている。源平合戦のころ、平重盛や畠山重忠が、鎧などの文様に用いていたために、誤って平家の紋と信じられている。平氏の代表的家紋となったのは、『大要抄』によると、平頼盛の一門(六波羅党)が、車の文様などに好んで用いたため、後世、平氏の末裔を称する者が、これにならって家紋にしたからという。江戸時代には、大名・池田家の家紋として名高い。大名・旗本で蝶紋を用いたのは約三百家にのぼり、うち平氏から出たものが三十余家を数えた。
蝶紋はその姿によって大別され、飛び蝶、揚羽蝶(一つ揚羽蝶、対い揚羽蝶、三連蝶)、輪蝶(一つ輪蝶、二つ輪蝶、三つ輪蝶)および蝶星などがある。また、本家・分家の別は、足の数、翅の模様、輪郭、その姿勢などに変化を加えて区別される。
桓武平氏の代表的な家紋。その流れをくむ伊勢氏、関氏も、戦国時代にこれを家紋とするようになった。また、織田氏も平氏の出で蝶紋を用い、岡山・鳥取の池田氏は、信長から贈られた幟に三連蝶紋があったところから、これを家紋に用いた。
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