丸に 葉沢瀉 |
丸に 花沢瀉 |
花沢瀉に 水 |
柊輪に 立沢瀉 |
中輪に 抱き沢瀉 |
沢瀉を象った紋。水辺に自生し、夏季には葉間から花茎を出して、白い花を咲かせる。尚美的な意義により、藤原時代から文様として用いられていた。公家の久我氏が、車の文様としていたことが、『餝抄』に見える。また、武将の鎧や直垂の文様として源平合戦のころから使われていたという。『平家物語』や『平治物語』『源平盛衰記』にこの記録がある。家紋としては、越中の椎名氏が初めて用いたらしい。戦国末期になると、豊臣秀次が馬標に使っている。これは木下氏(豊後日出領主)が、家紋としたことと関係があるといわれている。また、福島正則も家紋としていた。これは木下氏と氏族関係にあったからである。江戸時代には土井氏・水野氏・奥平氏・毛利氏・酒井氏・堀氏らの大名にも使われ、十数家がこれを用い、その後、旗本九十余家におよんでいる。
沢瀉紋には、葉のみからなるものと、葉と花を合わせたもの(花沢瀉)がある。葉の数では一つ沢瀉から九つ沢瀉までの別があり、これに水を配したものを水沢瀉という。花沢瀉は一葉五花を基本とするが、ときに七花、および九花を有するものもある。花は写実的であり、三弁が基本。なかには六弁のものや、花弁が尖ったものが見られる。また、花が開く、開かないことが区別の目印となる。扇沢瀉、達磨沢瀉、子持抱き沢瀉などの変形紋も知られている。
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