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天佐自能和氣神社
あまさしのわけじんじゃ
徳島県徳島市不動東町4宮西569−1

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徳島県徳島市。
吉野川の南岸、四国三郎橋の近くの堤防側にある。
正確には、吉野川とその支流である飯野川に挟まれた中州。
明治までは、当地の北1Kmにあったが、
現在は、吉野川の改修により川底になった。
当時の鎮座地は「光徳寺」とよばれ、
実際に光徳寺という寺と並んで鎮座していたようで、
現在でも、当社は「光徳寺さん」と寺名で呼ぶらしい。
吉野川改修のため、大正時代に遷座を行ったが、
昭和44年火災にあい、翌45年、氏子の努力により、
現在の社殿が完成。よって、鉄筋なのだ。
参拝当日も塗替え工事の最中だった。
常に新しく維持されつづけている現役の神社。
式内社・天佐自能和氣神社に比定されている古社。
現在の祭神は、四柱だが、
もとは、日子刺肩別尊一柱。
ついで、その母にあたる意冨夜麻登玖邇阿禮比賣命も合せ祀り、
さらに、二柱を後世に加えたと考えられている。
意冨夜麻登玖邇阿禮比賣命は、孝霊天皇の第三夫人であり、
日子刺肩別尊は、その第二子。
高志之利波臣・豊前之国前臣・五百原君・角鹿海直の祖とされている。
ちなみに、第一子は、大物主命の妻となった夜麻登々母々曾毘売命。
第三子は、四道将軍の一人・大吉備津彦命。
すごい兄弟なのだ。
神紋は、『式内社調査報告』には、菊紋とあり、
境内の石碑にも菊紋が付いていたが、拝殿には鷹羽紋があった。
例祭日は十月十六・十七日だそうだが、
祭り以後の三日間、参拝が禁じられているとある。
境内の南200mにある鳥居 ![]() | 境内入口 ![]() |
社殿 |
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境内左手の若宮社 ![]() | 拝殿 ![]() |
若宮社内部 ![]() | 本殿 ![]() | 由緒石碑 ![]() |
境内社 ![]() | 境内社 ![]() |
【 天佐自能和気神社 (徳島市) 】
