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八幡神社
はちまんじんじゃ
徳島県三好郡東みよし町三庄字中庄村道南1187
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式内社 阿波國美馬郡 田寸神社 |
徳島県三加茂町(現東みよし町)にある。
JR三加茂駅のすぐ北隣にあり、
JRと192号線に挟まれた境内。
駅に向かって(つまり南に)、境内入口があり、
境内中央に社殿。拝殿の後方に流造の本殿が立つ。
境内の案内に、古代の磐境が残っているとある。
本殿の後方、192号線側に、
境内を囲むように立石が並んでおり、小さな祠が祀られていたが、
これを指しているようだ。
この立石(磐境)は、387個、現存しているという。
当社の創建は不詳。
境内案内には、祭神は神功皇后・応神天皇・武内大臣が
記載されていたが、これは本社・八幡神社の神。
『平成祭データ』には、大己貴命も祭神に加えられており、
これは、八幡創祀以前に、当地にあった建石神社の祭神で、
その建石神社が、式内社・田寸神社の論社の一つ。
つまり、往古建石神社として立石磐境の祭祀形態の当社に
金丸山腹にあった金丸八幡神社が合祀され、八幡神社となったらしい。
境内を囲う立石(磐境)は、皇護石とも呼ばれているという。
駅を挟んで前方にある山が金丸山といい、
金丸山を神体とした、古代祭祀が営まれ、
周囲には古墳も多い場所。
本殿の屋根に、花菱紋がはずされた跡に
三つ巴紋が付けられていた。
八幡神社なので、神紋は三つ巴紋で間違いないだろう。
境内入口 |
社殿 | 社殿 |
社日 | 本殿 | 境内社 |
道路に面して立石(磐境) |
八幡神社の由来
祭神 神功皇后・応神天皇・武内大臣沿革 大昔この地に神が祀られその神域の境界を 示すものとして磐境が残っている。 萬治三年(一六六〇年)に八幡宮として新 しく建てられ、その後何回となく再興・修理 が加えられ維持されてきた。 明治四年神仏分離後、八幡神社と改称し神 殿を造営し、明治十三年弊殿・拝殿を新造し 現在の神社となった。 明治四十二年、地域の小宮を集めて境内神 社として社殿を作った。 平成八年、社殿全体の老朽化に伴い、氏子 の発意で大規模改修工事を行った。 祭礼は、毎年四月十五日・十月十五日の例 大祭、十月十四日の夜は徳島県指定無形文化 財「宵宮の神事」の神楽舞いが奉納される。 これらの諸行事は、山路山畑、中井、西光 角の四部落の当屋持ち回り制で行われている。 −境内石碑− 県指定無形民族文化財
この神事は、毎年秋祭りの前夜、10月14日の夜この
神社の前庭で行われ、現在では降神の行事を神代神楽が
中心となっている。拝殿の前に2本の長い青竹を渡し、
これはオンジャク(円形の御魂代)を下げ、庭で火(庭燈)
を焚き、オンジャクの綱を勢いづかせながら前後に振動
させているうちに、御魂代は、うなりをあげて拝殿から
神殿に到達する。この降神の行事が終わると若者6人による
神楽「剣の舞」と「乙子の五郎の舞」が激しくまわれる。金丸八幡神社の宵宮の神事 −社前案内板− |
【 八幡神社 (東みよし町) 】