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伊豫神社
いよじんじゃ
愛媛県伊予郡松前町神崎字小斎院193
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式内社 伊豫國伊豫郡 伊豫神社 名神大 |
愛媛県松前町にある。
北伊予駅の南西500mほどの神崎に鎮座。
道路から少し南に入った場所に、東向きに鳥居が立つ。
境内正面に社殿があり、右手に境内社、その奥に五輪塔が並び、
左手には立派な木がある。
境内社は、竈神社・猿田彦神社・厳島社。
文永年中の火災により社記等が焼失し、
創祀年代については不明。
通称、親王宮。
祭神は、孝霊天皇の第三皇子である彦狹嶋命だが、
一説には、平城天皇の御代、伊予の国司に任ぜられた伊予親王とも云われている。
ゆえに、別名を霊宮大神、御霊宮とも言われていた。
当社は、式内社・伊豫神社の論社に一つ。
また、式内社・伊豫豆比古命神社であると主張する説もあるらしい。
社殿の瓦に、「角切に三文字」の紋が付いていた。
参拝した時(歳末)は、氏子の方々が拝殿内に居られた。
何かのお祭があったのだろうか、
あるいは、迎春準備の相談だろうか。
鳥居 | 社殿 |
境内 |
御神木 | 本殿 |
社殿後方の五輪塔 |
厳島社、猿田彦神社、竈神社と石碑 |
伊予神社
当社は、第七代孝霊帝の第三皇子で、伊予
国を治め極めて功績の高かった彦狭島命を主
祭神とし、愛媛の総神愛比売命・伊予・久米両
郡の開拓神伊予津彦命・同妃伊予津姫命、さ
らに、主祭神の御父日本根子彦太瓊命(孝霊
天皇)、御母細姫命、また、第十三代成務天
皇の勅命により伊予の国造に任ぜられた速後
神命(速後上命)を配神として祀る延喜式内
名神大社である。続日本紀、三代実録等の史書にも著述があ り、古来より親王宮大明神として歴代朝廷の 尊崇をうけ、また、統治神として、武将・領 主等からも崇敬されてきたが、特に、源義経 が社殿を造営し、伊予の豪族河野家も又、代 々がこれを修理したと伝えられる。 江戸時代においても藩主は、参勤の上下に 必ず奉幣して安全を祈願したとも伝えられて いる。なお、当地方の古歌には、「民草も豊かなりけり国の名の いよよと守る神の誓に」とあるように、 古代よりこの地方の氏神として敬られ、伊予 一国を代表する国魂神として崇拝された旧 愛媛県社である。 −境内案内− 五輪塔
五輪塔のあるこの一画は、往古、伊予神社
の別当寺「真常寺」…現晴光院…の境内に位
置し、「入らずの森」と畏敬さえてきたとこ
ろで、かっては貴顕の尊霊を祀る廟地であっ
たところと伝えられている。この五輪石群は現在三基に纏められている が、大は、高さ約一八八cm・小は、高さ約一 五二cmあり、幅はいずれも約七〇cmで、石材 は砂岩系の軟質岩を加工したものである。全 容を見ると、地水火風空の各輪がやや均衡・ 調和を欠き、倒壊し散逸した異石を組み合せ た五輪塔であることが分かるが、その造立時 代を始め由緒・沿革等の拠るべき史料はない。 また、風化も進んでおり刻字の有無等目ぼ しいものは発見されていないが、明治三十年(一八九七) 二月、当時の宮内省属、青山盈氏の調査報告 によると、地方色豊か、粗豪で力強さがあり 造型手法からみて鎌倉後期の作であろうと推 定されている。なお、この調査に付随し、地 下六〇cm程を試掘したところ、青銅経筒六個 中国宗代の磁器壺二個・刀子・布目瓦・土器 和鏡等が出土した。これらの遺品は、五輪塔 と共に昭和四十四年(一九六九)三月一日松前町 有形文化財として指定されている。 −境内案内− |
【 伊予神社 伊豫神社 (松前町) 】