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阿津神社
あづじんじゃ
徳島県海部郡海陽町相川阿津1
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式内社 阿波國那賀郡 室比賣神社 |
徳島県の海部郡相川にある。
JR海部駅から、海部川にそって走る国道193号線を、北上。
相川に入って、中野トンネルの手前で、左折(西)。
相川沿いの道を2・3Km走ると、道路の左端に、
小さな案内がある。見落とすと、行き着けない。
案内通り、橋を渡って相川を越え、
川沿いの狭い道を進むと、社前に到着する。
鳥居のすぐ後ろに建物があり、階段上に拝殿。
後方の石台の上に、小さな本殿が鎮座している。
拝殿の右手に、ログハウスのような建物があったが、
内部には、木彫りの男根や女陰が並べられていた。
祭神・木花開耶姫命は、子宝の神として信仰されており、
高知の朝峯神社にも、石の男根や女陰石があった。
『阿波志』に、室比賣神社所在地の一説として挙げられている。
つまり、式内社・室比賣神社の論社。
もし、室比賣神社であれば、本来の祭神は、室比賣命であろう。
社前は、広いスペースになっていて、相川の河原に続いている。
周囲は木々の生茂った山間の地で、朝日がさし込み、気持ちの良い場所だった。
社域 |
境内入口 | 鳥居 |
社殿 | 社日 |
社殿 |
本殿 | 本殿と社日 | 男根の祀られた建物 |
創立年代不詳。往古より室比売神社と称し、遠近の崇敬が厚い。永亨元年(1429
)の棟札写に、式内室比売神社とある。明治3年阿津神社と改称。『阿波志』に「室
比売祠……或は曰く、海部郡相川村室津阿津神是也。相川村に御室祠あり」と。また
『阿府志』には「室比売神社、相川村室津と云ふ所に在り。安津明神と号す、吾田鹿葦津姫を祭る。
又木花咲耶姫、大山祇等大宣津姫之娘也と。述者按には安の字は室の
字の誤りならん、無戸室の字なるべし。今安津明神とは謬れるか。室津は此郷の名地
。殊に霊験あらたかに諸人尊敬し、病人痛所等所るに忽ち霊験ありと。今は社も甚微
なり」と記す。『大日本史』に「室比売神社、今在海部郡相川村室津称阿津明神者蓋
是」。『寛保帳』に「相川村三室大明神、神主細野村、惣太夫(式内室比売神社恐是
)」。『神社覈録』に「室は牟呂と訓べし。比売は假字也。祭神明か也。在所慥なら
ず。当国神社帳。相川村、御室大明神と云うあり。度会清在云、或云開化皇子日子坐王御子室日古王と云うあり。若狭耳別之祖也。此皇子の后にや。かかる例自余にもあ
り」。『海部郡取調廻在録』に「神社、小名室津、阿津大明神、此社は延喜式神名帳
に出たる室比売神社とまふし伝ふ、按に小名室津に御鎮座なればめでたけれ、さて社
号の阿字安字も書し事のあるよし、されば室字を誤りて安字を書きしものにあらんか
、いつにても式社とまかいるもかるべし、さて御神徳あらたにて都中はさらなり、土
洲などよりもおびたゞしく参詣あるよし。……」とある。
最近の学者等は、現代の地形、人口等をもって他社を室比売神社と推定しているが、
「阿波志」「式社畧号」「神祇史料」等、当社にあてている説が有力である。
−『平成祭データ』− |
【 阿津神社 】