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周敷神社
すふじんじゃ
愛媛県西条市周布字本郷1532
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愛媛県西条市(旧東予市)にある。
丹生川駅の西南3Kmほどの周布に鎮座。
旧東予市は扇状の平地が広がる地域だが、その中央部にあたり、
南海道周敷駅は、このあたりにあったと考えられている。
周布小学校の横に参道入口があり、
100mを越える馬場の参道の先に、
こんもりと茂った社域の森が見える。
参道入口にある鳥居の左右に、天満宮ともう一つの祠がある。
まっすぐに延びる馬場を歩いて境内に入ると、神門。
神門をくぐると、正面に白く美しい社殿がある。
後方の本殿は流造り。
元禄5年(1692)の創建で、市指定文化財となっている。
「周敷」は、「すふ」「しゅうしき」「しゅうふ」「しゅふ」など、
いろいろと読まれているようだ。
創祀年代は不詳。
丹生連より出た周布氏の祖神を祀った神社。
天火明命を主祭神とし、左殿に大山祇命、右殿に大己貴命を祀る。
従来、祭神に関しては秘伝とされ、公表されていなかったらしく、
天忍男命を主祭神と見る説もある。
式内社で、桑村郡・周敷神社の論社だが、
鎮座地が桑村郡ではなく、周敷郡であるため、
国安の周敷神社、宮内の宮内神社、円海寺の保内八幡宮など
幾つかの論社との紛争が続いたらしい。
本殿の屋根には、菊紋と桐紋が付けられていたが、
社殿の紋幕には、「而」の字と思われる紋が染められていた。
多分、これが神紋なのだろう。
「而」は、「しかして」の「しか」。
「じ」とも「に」とも読めるが、なぜこの文字が使われているのだろうか。
見ようによっては、簡略化した赤鳥紋にも見え、
櫛のようにも見える。
ひょっとすると「櫛」の文様なのか?
この神紋に関して情報をいただいた。
祭神・天火明命に因んだ「天」の文字だそうだ。
参道入口には、天満宮と金刀比羅宮。
境内にも多くの境内社が存在する。
『愛媛県神社誌』には、以下の名前が記されている。
幸神社、壺神社、和霊神社、天満神社、青木神社、八雲神社、
金刀比羅神社、山神社、市杵島神社、横戸田神社、忠魂社。
参道の天満宮 | 参道の金刀比羅宮 |
参道入口の鳥居 | 社域 | 境内入口 |
境内 |
本殿 | 拝殿 |
境内社 | 境内社 |
御神木 | 御神木 |
周敷神社
周布本郷一五三二番地に鎮座している。古代の郡家も
周敷駅も、この付近にあったと考えられる。主祭神は、
火明命、配神は大山祇命、大己貴命、延喜式神名帳記載の
神社で伊予国二四座の内、桑村郡三座の一社であるが、
当、周敷神社の鎮座地は、周布郡、周布村であって桑村郡
でないことから、寛文一〇年西条初代、松平頼純が入国
巡視の際、式内社周敷神社について疑義を生じ、天禄八年
と宝永二年など何度か調査したが確認できなかった。享保五年国安村の周敷神社をはじめ、円海寺村蓮宮明神、 宮之内村、宮内神社からも、それぞれ式内周敷神社だとの 訴えがあり、なかでも国安村周敷神社とは久しく紛争が 続いたが結局は中央の神学者・壺井義知の「周敷神社鎮座 違郡考」の説に準拠して周布村の周敷神社の勝となり神祇 官領、吉田家より裁許状を授けられ、享保七年一応の決着 をみた。この周敷神社一帯は湧泉が多く早くから稲作が 行われ、周敷郡の政治産業の中心として栄えていた。 天平宝字八年、多治比連真国ら一〇人に周敷連の姓を賜わ り、ついで真国ら二一人に周敷伊佐世利宿祢の姓を賜わる 。この一族が先祖の神を氏神として祀ったのが周敷神社で ある。境内、東西三二間、南北三七間、馬場の長さ一三四 間、氏子、およそ三一五戸である。神主の伊佐芹家は、 周敷伊佐世利宿禰につながるものである。 天正一三年の兵火で社記、宝物など全焼したが、享保七年 西条藩六社の一つに加えられ、藩主の代参、神田の寄進が あった。旧県社、萬代講、永代講があったが中止された。 例祭は一〇月の十五日・十六日である。社宝には、延喜式弁 疑、松平頼安の寄進状、一柳直卿の社号、掛軸などがある。 −社前案内板− |