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朝倉神社
あさくらじんじゃ
高知県高知市朝倉丙2100
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式内社 土佐國土佐郡 朝倉神社 |
高知市内、鏡川の西にある。JR朝倉駅の側。
JRの踏切を北へ越えると境内入口、参道が北へ続く。
南へ行けば、朝倉城跡がある。
土佐二ノ宮とされており、祭神も、一ノ宮土佐神社祭神の后であるとする説がある。
土佐国風土記逸文にも記載されている古社なのだ。
江戸期再建の本殿は国指定重要文化財で、
外壁は黄色に彩色され、神仙図のような絵が描かれている。
本殿には、金の菊紋と桐紋で、装飾されていたが、
神社名鑑にあった橘紋は確認できなかった。
朝倉神社は、朝倉橘廣庭宮とも呼ばれているので、
橘である可能性は高いのだが。
日本書紀、斎明天皇の条に、以下の記述がある。
「天皇が朝倉の宮に移られた時、朝倉の社の丸木を切ってこの宮を建てた。
そのため雷神が怒って御殿を壊した。
宮殿内に鬼火があらわれ、多くの者が病で死んだ。
天皇が崩御された時、朝倉山の上に鬼があらわれ、
大笠を着て喪の儀式を覗いていた」
定説では、この「朝倉」は、福岡県の朝倉であり、
「朝倉の社」は、麻氐良布神社であるとされているが、
ここ、土佐の朝倉神社であるとする説も古来多く出されている。
斎明天皇は百済救済のために朝倉宮に移ったのだから、常識的には筑前だが、
土佐では、朝倉神社とされ、背後の赤鬼山が、
伝説の鬼の山とされており、当社も地元では「木の丸さん」と呼ばれている。
386号線(朝倉伊野線)から北へ入り、JR踏切を越えて境内。
長い参道が北西に延びる。赤鬼山の麓の境内に社殿がある。
社殿右には倉稲社、左に荒倉社がある。
本殿は重要文化財だが、黄色いのだ。
彩色され、絵画が描かれており、金具で装飾されている。
その絵は、どう見ても新しいのだが、書き直されたのだろうか。
踏切の先に参道入口 |
参道の鳥居 | 境内 |
境内社殿 |
本殿 | |
忠魂社・荒倉神社 | 倉稲神社 |
朝倉神社(木の丸様)旧県社 高知市朝倉 土讃線 朝倉駅より西〇、四粁 祭神 天津羽羽神 天豊財重日足姫天皇 例祭 一一月一〇日 神紋 橘 本殿 流造 極彩色 一〇坪余 境内 二五八一三坪 末杜 五社 宝物 本殿棟附棟札七枚(重文) 氏子 七五〇戸 由緒治革 天津羽羽神は上古、この地の開拓 神であり、天豊財重日足姫天皇即ち斎明天皇 はその後年この地の朝倉宮に幸せられたちな みにより、のちに合祀された。延喜國幣の小 社に列し、正一位高賀茂大明神、橘の広庭 の宮ともいった。中世以来武家の崇敬篤く、 山内氏歴代は社領寄進、造営につとめた。 −『神社名鑑』− |