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多賀神社
たがじんじゃ
宮城県仙台市太白区富沢3−11−1
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式内社 陸奥國名取郡 多加神社 |
宮城県仙台市にある。
長町駅から西へ3Kmほど。山田I.C.方面へ向かう道路から、
少し南へ入った町中に鎮座。
小さな石橋を渡って境内。
階段の脇には木の神が祀られ、階段の上に社殿がある。
拝殿の前には、茅輪守が山積みになっていたが、
賽銭を入れて勝手に持っていって良いのだろうか。
宮城旅行の初日、最初に訪れた神社。
東京から新幹線で仙台へ、そこからレンタカーで参拝開始。
社伝によれば、景行天皇40年、日本武尊東征の時の勧請。
明治22年、名取市高柳の多賀神社との間で、
式内・多加神社であるとの紛争が起こったが、
村名を東・西多賀村と分け、
当社を、式内社。高柳を社領のあった地とした。
本殿には、普通の五七桐の紋が付いていたが、
拝殿の屋根には金輪桐、拝殿内を覗くと、幕にも金輪桐が付いていた。
基本は、通常の桐なのだろうと思うが、
金輪を用いて装飾性を付加した気持ちが、個性を主張しているようで面白い。
鳥居 | 社前の境内社、木神 |
境内 |
拝殿 | 本殿 |
拝殿前に茅輪守 |
舞殿 | 本殿 | 境内社 |
多賀神社由来(村社)延喜式内社
祭神 伊邪那岐命(万人の祖神 延命・安産の神)第十二代景行天皇四十年(皇紀七七一年・西暦111年) に日本武尊東夷追討の折、この地に勧請された。次いで 第二十一代雄略天皇二年(皇紀一一一七年・西暦四五七年) に圭田五十八束を賜り御祭式を行われたと伝えられる。 その後、この地方の守護神として領主様や武将の崇敬が 厚く祭祀された。第七十代後冷泉天皇の御代(凡よそ九百 年前)鎮守府将軍源義家征東の際に名取川を渡って本社 に参拝し、武運長久を祈り自筆の物を奉られた。享保(二 百七十年前)の頃に仮宮を建ててあったが大破し、徳川 時代に伊達政宗(第十七代)が仙台に居城を構えられて より、世々藩主の尊崇も厚く、第二十二代藩主重村公(凡 よそ二百五十年前)の御寄進により、安永乙未年(西暦 一七七五年)に社殿造営の御普請が行われた。又、角田 城主石川宗光公より神號「多賀神社伊弉諾尊」の献上も あり、奥方様や代参の侍女の参詣で賑いました。 明治五年四月に村社に列し、同四十二年十一月に大野田 に鎮まり坐す春日神社(祭神天児屋命)と寶龍社(祭神 高靇命)を合祀した。 俚謡(世間のはやりうた)
伊勢に参らばお多賀に参れ お伊勢お多賀の子じゃ孫じゃ −境内案内− |
【 多賀神社 (仙台市) 】