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鼻節神社
はなぶしじんじゃ
宮城県宮城郡七ヶ浜町花渕浜字誰道1  Zenrin Data Com Maps display !!


十六菊

式内社 陸奥國宮城郡 鼻節神社 名神大
志波彦神社・鹽竃神社摂社
旧村社

御祭神
猿田彦命
手力男命 『神祇志』『惣國風土記』

宮城県七ヶ浜町にある。
JR多賀城駅の西6Km、七ヶ浜町の東端。花淵灯台の近く。
塩竈湾(あるいは松島湾)の入り口に位置する場所にあり、
断崖の上に社殿が鎮座している。

七ヶ浜町側の参道入り口には、赤い鳥居がある。
社殿前に階段があり、降りていくと、そこにも鳥居。
海からの参拝が本筋なのかもしれない。

社伝によると当社の祭神は、鹽竃神社と同じ神であるといい、
鼻節の浜に上陸したという。
別の説では、鹽竃神社祭神を案内した岐神

孝安天皇の御代に、うが崎に鎮座。
舒明天皇の御代(630)に、神事を行い、
光仁天皇の御代(770)に、垂水山(誰道)に遷座したという。

また、『枕草子』にも「はなふちの社」と記されているそうで、
都人にも知られていた大社であったという。

昔、嵐にあった船の水夫たちが、この神に祈ったところ、
船は無事、浜に到着した。
見ると、船底に無数のアワビが付着し、船体の破れを防いでいたという。
当社境内に、東西の二つの石祠である大根神社がある。
大根神社の本社は、当社の沖の海中の岩礁にあるいい、
境内の石祠は、その遥拝所。
大根明神の神事では、アワビを神前に供えるらしい。
あるいは、鼻節神社の原初は大根神社への信仰であったかもしれない。

湾の入り口に位置する神社は、各地にある。
その場合、同じ湾の反対にも同様の神社が存在する場合がある。
当社の鎮座する山は、垂水山と呼ばれるが、対岸の大高森に垂水鼻という岬がある。
また、境内社に大根神社があるが、対岸の大高森の沖にも大根島が存在する。
このように、松島湾をはさんで、当社のある七ヶ浜町と大高森は
対の存在であるような気がするが、実際にはどうなんだろうか。

海側から見ると、断崖の上に鎮座しているが、陸側からでは、深い森のなか。
重層した信仰形態を想像させる。


鳥居

参道

参道鳥居

境内

境内

拝殿

本殿


海側の鳥居

海側麓から見上げると
垂水山(誰道)に社殿がある

珍しい三角形の扁額

鼻節神社
 鼻節神社は第六代孝安天皇の御代(前 392〜前291)に、岐神(ふなどかみ)として猿田彦命を花淵浜吼坊ヶ崎に 勧請して、神社を創建したと伝えられて いる。都より神官が下向して祓清めたとい う記録があり往時の鼻節神社が霊験あら たかで朝廷の尊信を受け、民間の信仰も 厚かったと思われる。

御祭神 猿田彦命
例祭日 旧九月二十八日 本殿一、五坪 幣殿三坪 拝殿一〇坪
 本社創紀の年代は古書によると第三十四代舒明天皇二年(西暦六三〇)といわれ第六〇代醍醐天皇の延喜五年 (九〇五)に全国の神社を調査せしめた延喜式神明帳には当時陸奥国にある壹百座を大まかに分け大社十五社 小社八十五社とし本社は名神大社に列せられている。後に鎌倉時代陸奥国府(多賀城)の主厨であったといわれ る花淵浜の舘主花淵氏累代の崇敬篤く社殿の造営、祭事が相つぎ社敷場や地名に残る祭田、三月田四月田五月田 等は神田、社領の遺名でありその盛大さを偲ばせます。

−案内板 および 石柱より−

参道には、境内社である山神社、稲荷神社が並んでおり、八海神社や月山神社の石碑がある。
境内右手に、二つの石祠・東西大根神社、沖の岩礁にある大根神社の遥拝所だが、
『式内社調査報告』では、沖20Km。『日本の神々』では、沖4Kmとあった。
いずれにしろ、境内から海を眺めると、いくつかの奇岩をみることができる。


参道の境内社 山神社・稲荷神社

境内社 八幡社・大根神社

境内からは、海中に奇岩がいくつか見える


【 鼻節神社 】

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