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椙尾神社
すぎのおじんじゃ
山形県鶴岡市馬町字宮ノ腰169  Zenrin Data Com Maps display !!


三つ巴


六つ目

式内社 出羽國飽海郡 小物忌神社
旧県社

御祭神
事代主神
配祀
天津羽羽神 竜田彦神 竜田姫神 月山神 大物忌神

山形県鶴岡市にある。
羽後本線・羽前大山駅の北3Kmほどの馬町宮ノ腰に鎮座。
38号線から西へ一本入った、南北に走る道に、
東向きの参道入口がある。
参道入口に立つ石鳥居は、山形県指定の文化財。
両部鳥居の形式で、稚児柱を持つが、
貫が左右に出ていない、中山鳥居の様式をあわせ持つ珍しい形。
境内の小祠にある石鳥居にも貫の無いものがあったが、
当社の特徴だろうか。

参道を西へ進むと、宮下集会所があり、
その横から階段の参道が続く。
階段途中に、顔が摩滅した石の狛犬が、屋根で守られて座っている。
さらに、階段を登ると、広い境内に大きな社殿。
社殿の周囲には、幾つかの境内社があるが、
それぞれが、普通の小社の社殿ほどの大きさがあり、
当社の勢力の大きさがうかがえる。

創祀年代は不詳。
正保年間の火災のため、社殿等を焼失したが、
一説には、欽明天皇三年の創祀という。

中古にいたり、農耕が盛んになるにつれ、
風の神(龍田彦神龍田姫神)を大和国から勧請。
鎌倉時代以後、武藤出羽守の崇敬を受け、
月山神・大物忌神を勧請した。

拝殿・本殿には、三つ巴の紋が付けられているが、
拝殿には、さらに六つ目の紋も付いていた。
当社の神紋は、三つ巴だったらしいが、
武藤氏の崇敬後は、武藤家家紋である六つ目も使用するようになったらしい。

境内で、社名を確認した境内社は以下の通り。
羽州大守武藤家御霊殿、八幡宮、大山祇神社、
猿田彦神社、天照皇太神宮。
その他にも幾つかの祠があるが、名前は分からなかったが、
『平成祭データ』には、八坂神社、桜の宮の名が載っており、
『山形県神社誌』には、大鳥神社の名が載っている。


参道入口の石鳥居

参道

参道

参道

社殿

境内

社殿

本殿


山形県指定有形文化財
石鳥居
この鳥居は 両部鳥居の形式 に属し、全体的に 関西文化 の影響がみられる
石材は越前産硬砂岩を用い  島木 笠木は 一石で作られ ており 両柱の銘文から桃山 時代末期の慶長十六年に、 最上氏の家臣下次右ェ門尉藤 原實彦および原美濃守源頼秀 によって建てられたものであ ることがわかる
昭和二十八年二月十三日  県指定を受けた。

−社前案内板−



椙尾神社
鎮座地  鶴岡市馬町字宮ノ腰169
祭神   事代主神 天津羽々神 龍田彦神 龍田姫神 大物忌神 月山神
境内神社 皇大神社 八坂神社 大鳥神社 大山祇神社 八幡神社 佐田彦神社 さくらの宮 武藤家霊殿
祭日   例祭 六月五日、祈年祭 三月二十二日、新嘗祭 十一月二十六日、月次祭 通夜講祭、元始祭、七種祭、太々神楽祭、斎倉祭(ゆぐらさい)、夏祭、風祭、大祓
神事芸能 氏子廻村獅子舞、太々神楽の倭舞
社殿   本殿 九坪、幣殿 九坪、手水舍一棟、拝殿 五六・五坪
主要建物 土蔵一棟、厠一棟
工作物  鳥居石造二基内一基県指定文化財、鳥居木造一基、手水所石造一基、狛犬石造一対、めつけ犬像石造一対、石碑一基、燈籠石造一対、同二基
境内地  三四、四六一坪
氏子数  三、五〇〇世帯
由緒
正保年間(一六四四〜一六四七)灰燼の為社殿焼失、最初の鎮座は不詳であるが、欽明天皇の壬戌の年の創祀と伝えられ、又、勧請の神社ではなく古来の神跡であると云われている。中古に至って農耕盛んになるにつれ、風の神、瀧田彦神、瀧田姫神を勧請し、鎌倉時代に至り武藤出羽守、当国地頭に封ぜられて、月山神、大物忌神を勧請し、自ら神社の氏子となり、大山の城山を居城として尾浦城と称し厚く当社を崇敬し、大祭には自ら奉幣使前駆、後衛美々しく仕え奉ったと云う。又、延喜式内社出羽の九座を奉招し、羽州一国の総祭を奉行せられたと云う。後最上家入国、慶長十七年六月四日最上義光より黒印高百七十石五斗二升二合を寄進せられた。しかしこれは武藤出羽守封高の十分の一であると伝
えられている。最上家が滅び酒井家入国後も、代々の古例を存続して崇敬参拝され、今尚当社の神事として斎倉祭と称し武藤家の古例をつぎ斎行されている。明治以前は小物忌椙尾大明神と云われていたが、明治二年椙尾神社と改め、同六年郷社に列し、更に同九年には県社に列格している。明治三十七年には当時全国でも珍しい、神社後援の財団法人椙尾神社保存会が設けられた。これは神社の維持経営を永遠に保持できるようにと、当時の氏子総代が発起人となり氏子全域に呼びかけて設立したものである。途中で経済の変革に遇い再度、再々度の増資をし、その果実は専ら祭典費や修繕費等に充てられている。尚、当社は最初西浜の宮沢の海岸にあったが、人智産業等の発展に伴い現在地に遷られたと云われ、その名残として毎年六月の大祓には神輿が元の浜に臨幸し祭典を行ない、帰りには氏子の有志の方々が松明をもって迎えてくれる。これが「みな月の松明まつり」として近郷近在に知られている。社殿は応永年中武藤左京大夫讃岐守武藤政氏の造営されたものであったが、後改められ現存の社殿中本殿は萬治四年(一六六一)の造営であり、大正四年大正天皇御大典記念として大修繕を加えたもので、拝殿は文政九年(一八二六)造営のものである。又、社家は古来六供八太夫といわれ神宮寺六ヶ寺、社家八軒を数えたが、明治の神仏分離により寺院は一寺を残し、社家は一戸の減少を見ただけで現在も続いて奉仕している。尚又、慶長年中(慶長十年は一六〇五年)武藤家の家臣、下治右衛門、原美濃守の寄進による石の鳥居があり、現在県重要文化財に指定されている。東南に月山を仰ぎ、東北に鳥海山を眺望、氏子数三千五百戸、旧大山、西郷、大泉、袖浦、湯野浜、宮沢、金沢の広範囲に及んでいる。
「めつけ犬」の伝説は大山の犬祭と称し多くの人々に知られ、庄内の三大祭の一つに数えられ賑わいを見せている。

−『平成祭データ』−



【 椙尾神社 (鶴岡市) 】

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