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安達太良神社
あだたらじんじゃ
福島県本宮市本宮字舘ノ越232
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式内社 陸奥國安積郡 飯豊和氣神社 |
福島県本宮市にある。
JR本宮駅の北東1Kmほど、
阿武隈川の西岸の菅森山と呼ばれた丘の上に鎮座。
鳥居をくぐり、木々の鬱蒼とする階段を登ると東向きの社殿がある。
当社は、北西15Kmにある安達太良山(1700m)を遥拝する神社なので、
正確には、社殿は南東向き、参拝者は北西を向く配置なのかもしれない。
参道の階段脇や、境内の右手に幾つかの境内社がある。
境内左手の道を進むと、本社の裏側あたりに古峯神社があるが、
他の境内社と少し趣が違う。
本殿は屋根で覆われた流造。
安達太良山嶺に鎮座の、
甑明神(飯豊和氣神)・船明神(彌宜大刀自神)・
矢筈明神(飯津比賣神)・剣明神(陽日温泉神)と、
安達太良山支嶺大名倉山に鎮座の
宇奈己呂別神(高皇産靈神・神皇産靈神)を、
久安3年(1147)現在地に勧請したのが創祀。
「甑」とは古代の蒸し器のこと。
安達太良山が湯気のような噴煙を上げていたことからその名がついたようだが、
延喜式記載の飯豊和氣神社が、この甑明神であるといい、
公式にではないが、式内社と見る説もある。
参道階段脇には、
風神社(足尾様)、津島神社(天王様)、
金刀比羅神社(こんぴら様)、貴船神社(蛇神様)。
境内右手には、
天満宮(天神様)、熊野大神・疱瘡神・大山祇神・稲荷大神、
天照皇大神などがある。
鳥居 | もう一つ鳥居 |
社号標 | 参道階段 | 上から階段 |
境内 |
拝殿 | 神楽殿 |
本殿の覆い | 本殿 |
御神木 | 拝殿 |
参道の風神社と金刀比羅社・津島社 | 境内の古峯社 |
境内社が並ぶ | 天照皇大神などの石祠 |
参道の貴船社 | 天満宮 | 稲荷・大山祇・疱瘡・熊野 |
安達太良神社略記 神社名 安達太良神社 当社は、俗に明神様として氏子中に親しまれ、安達太良山と相対し、本宮町を一望みることができる丘上にあり、神杉等鬱蒼として清々しく、神の鎮ますに相応しい絶好の霊域にある。 鎮座地 福島県安達郡本宮町字舘ノ越二三二番地 祭神 高皇産霊神(たかみむすびのかみ) 神皇産霊神(かみむすびのかみ) 飯豊和気神(いいとよわけのかみ) 飯津比賣神(いいつひめのかみ) 陽日温泉神(あさひいでゆのかみ) 禰宜大刀自神(ねぎおおとじのかみ) 由緒 当社は、久安二年(一一四六年)四月朔日近衛天皇の御代、安達太良山に鎮座されていた飯豊和気神、飯津比賣神、陽日温泉神、禰宜大刀自神、俗に甑明神、矢筈森明神、剣山明神、船明神と、大名倉山に鎮座されていた宇奈己呂和気産霊二神、俗に宇奈明神と合わせ奉って安達太良明神と称し奉り、本目村を本宮村と改め安達郡総鎮守として尊崇され現在におよんでいる。 神徳 高皇産霊神・神皇産霊神 宇奈明神は、造化の三神として尊崇拝される天之御中主神と共に成りませる二神で、すべてのものをむすびむすばせ給う生成霊威の神である。 飯豊和気神・飯津比賣神 当地方開発守護の祖神である。 陽日温泉神 大己貴神、少名彦神と合わせて、温泉医療の神である。 禰宜大刀自神 神職の祖神として祀られている。 以上、悠遠の昔から地方守護の神としてあがめられ、すべての産業開発、商売繁盛、家内安全、縁結びなど、あらゆる幸福を増進することをはかられる、人間生活の守護神である。 例祭 十月二十四、五、六日 大祓 節分大祓 人形を阿武隈川の清流にながす。 春祭 五月一日 神事 神事に、真弓の神事、山鳥の秘事、錦木の故実があり、天正年間まで、春秋の例祭に際行われていたが、当時の舘主・氏家新兵衛の退去後は寄進が絶えたため行われなくなった。「秘事にして窺い知る者なし。」とりわけ、山鳥を恐れること甚だしく、この地に生きるものは、他邦へ移っても、此鳥を喰へば害があると云われている。 現社殿 文化三年二月十六日の大火により、本宮両町殆ど焼失、御本社、拝殿、神楽殿、宝蔵及び末社まで類焼、同年九月假社殿完成、文化七年三月、再び本宮両町全焼(当假社殿は焼失を免れる)、再度の祝融にあい町自体の再建も覚束なかったが、当社の神主・治部太夫改め雅楽亮廣視の努力と氏子の献身的な寄進とによって現社殿が、文化十三年完成、同年九月遷宮。 社務所 大正七年、県社昇格時に建設された社務所は、多年の風雪によって老朽甚だしく、有志相はかり、由緒ある神社を守り続けるため浄財を募り、昭和五十六年五月一日竣工をみた。 本宮方式秋まつり 露店商に頼らず、町民の手で露店を運営する、町独自の秋まつりは昭和五十三年より実施され、逐年賑わいを増してきて、伝統ある本宮秋まつりに新しい歴史が加わった。 年号 (西暦) 事項 久安二年(一一四六年)安達太良山と名倉山上の神々を現在地に遷宮 宝徳年中(一四四九〜五一年)畠山持清再興し、のち鹿子田和泉が修復した 天正年間(一五七三〜九一年)真弓の神事・山鳥の秘事・錦木の故実があり、春秋例祭の際行われていたが、当時の舘主氏家新兵衛退去後は、神事料の寄進が絶えたため行われなくなった 寛文九年(一六六九年)本社再興 宝永三年(一七〇六年)屋根替 正徳の頃 塩田より蛇塚の小祠を、代官黒川氏が現在地に移す 元文五年(一七四〇年)屋根替 宝暦の頃(一七五一〜六三年)神輿渡御の許しを得たと伝たう 明和五年(一七六八年)本社拝殿共屋根替修理 文化三年(一八〇六年)本宮両町殆ど焼失の際、本社拝殿等焼失 文化七年(一八一〇年)本宮両町全焼 文化十三年(一八一六年)現在の社殿完成 天保二年(一八三一年)三十六歌仙奉納 明治二年(一八六九年)安達太良神社と改称 明治八年(一八七五年)郷社に列す 大正四年(一九一五年)県社に列す 大正十二年(一九二三年)屋根銅板葺替 昭和二一年(一九四六年)安達太良神社奉賛会を結成 昭和五六年(一九八一年)社務所改築落成 −『平成祭データ』− |
【 安達太良神社 (本宮市) 】