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儛草神社
まいくさじんじゃ
岩手県一関市舞川町字舞草太平5

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岩手県一関市にある。
平泉駅の東3Kmにある観音山の山頂付近に鎮座。
一関と平泉の境界にあたる。
観音山麓を東西に走る道路脇に、
表参道の入口、黒門があるが、この参道はあまり使われないようだ。
雑草が茂って歩きにくいので、今回は東参道で参拝。
黒門から東へ1Kmほどいくと、東参道の入口があり、
鳥居が立っている。
東参道は、車で社前まで進むことが出来るが、
狭くて未舗装なので、走行には注意が必要。
途中、白山岳の山頂付近には、鍛冶遺跡があるが、
草が茂って、何も見えない。
表参道入口(黒門) ![]() | 表参道 ![]() | 表参道の鳥居 ![]() |
東参道入口 ![]() | 東参道の鳥居 ![]() | 東参道の鍛冶遺跡 ![]() |

式内社・儛草神社に比定されている古社。
社名は、「まいくさ」と呼び、「もくさ」とも呼ばれる神社。
社伝によれば、大同2年(807)に坂上田村麿によって創建。
神仏習合時代は、吉祥山東城寺と称していた。
古くは、白山岳に鎮座していたという伝承もある。
白山岳周辺には、鍛冶遺跡があり、舞草鍛冶として有名で、
全国の刀工の祖神としての崇敬も篤い。
表参道から登ると、鳥居があり、正面に仁王門。
東参道から来ると、仁王門の前の道に出る。
仁王門の後、階段の上に社殿。拝殿の後ろに、一段高く、本殿がある。
拝殿の右には幾つかの灯篭が並び、鐘楼がある。
神仏習合時代の名残りだろう。
本殿の右手に、注連縄をした御神木らしき木が立派。
表参道から仁王門 |
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社殿 ![]() | 本殿横の御神木 ![]() |
本殿 ![]() | 拝殿 ![]() |
鐘 ![]() | 石塔 ![]() | 境内社か ![]() |
延喜式内 儛草神社
一、祭神 蒼稲魂命 伊邪那岐尊 伊邪那美尊由緒 この神社は仁壽二年八月従五位の下を授け られ陸奥百座・磐井二座の中の一座で 延暦年間坂上田村麿東征の砌りこの社 殿に聖観音を勧請、当時「きば寺」と呼ば れていた。佛教が盛んになるに伴い僧房 も漸増し、平泉全盛のころは二十四院を 数え観音堂を囲んで散在するに至った と言われ、羽場の観音とも称せられ ていた。 この吉祥山東城寺は奥州三十三番 のうち二十七番札所として栄えたが、明 治四年非佛棄却に逢い神社として復興 し同年十月郷社に定められ明治八年 村社に定められた。大正二年十一月熊野 神社を合祀し今日に至っている。 祭日 四月十七日・八月十七日 −社頭案内板− 日本刀発祥の地
舞草に鍛冶がいて刀剣を鍛えていたこと
は鎌倉時代に書かれた京都の観智院に伝わる
観智院本をはじめ数多くの刀剣誌に書かれて
いますがその跡がどこなのか今もなお判明して
いません。舞草鍛冶遺跡 昭和四十二年郷土史研究家佐藤節郎翁が 白山岳附近で鉱滓を発見したことから岩手大学 板橋教授によって調査が実施され、その結果 鍛冶にとって不可欠の古代のタタラ(製鉄)跡を発見 学術的な裏付けもされました。 舞草鍛冶がいつ頃からこの地ではじめられたかは 不明で、平安時代中頃と推定されています。 くわしく解明するためには今後の調査による ところです。 −社頭案内板− 舞草鍛冶
この舞草の地は平安時代より刀鍛冶が集団で
住まいした所と伝えられ、舞草刀は日本刀が直
刀から湾刀へと移り変わる時期の初めの頃とさ
れています。刀剣に関する代表的な古伝書に鎌倉時代に書 かれた観智院本銘尽がありますが、この中でも 舞草鍛冶の刀工が数多く記述されており、その 場所は、ここから直線距離で北西約700mの 白山岳周辺にあったと伝えられております。舞 草鍛冶は往時の陸奥国にあって武器づくりの集 団として欠くことのできない存在でした。 −東参道入口案内板− |
【 舞草神社 儛草神社 まい草神社 】
