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日高見神社
ひたかみじんじゃ
宮城県石巻市桃生町太田字拾貫1−73
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宮城県石巻市にある。北上川の東側。
気仙沼線・陸前豊里駅の南東5Kmほどの桃生町太田に鎮座。
豊里大橋を渡って旧北上川を越え、
30号線を南下し、西へ入ると、ブロック塀に囲まれた場所がある。
中には、老人憩いの家「日高見荘」があり、
遊具などが置かれている場所に鳥居が立っている。
鳥居をくぐり、緩やかな坂道の参道を登ると、
御神木の欅の木。
欅の根本には、源義家が貞任討伐の折、
敵から身を隠したという虚(空洞)がある。
参道をさらに登ると境内。
階段を登ると社殿があり、
後方に神明造の本殿が立っている。
参道には木々が聳え、社殿まわりの森も深い。
背後の小山は鴻巣山、一名日高見山というらしい。
参拝は、夏の休日。
鳥居から社殿までの参道が、炎天下には辛いが、
社殿直下まで車で来ることができる。
社名の「日高見」は資料によっては、
「ひたかみ」「ひだかみ」などと記されている。
景行天皇四十年、日本武尊東夷征伐のおり、
上総国より海路陸奥に入り、日高見国に至り
この地の賊を平定。
日本武尊の偉業を崇敬して祀られてのが当社である。
一説には、日本武尊東征のおり、この地に斎場を設けて
天津神を祀ったとも。
あるいは、往昔、安倍貞任によって造営されたとも。
ただし、三代実録によると、貞観元年(859)に
従五位上から従四位下へ昇叙されており、
平安時代後期の安倍貞任が創祀したわけではないようだ。
その三代実録には、「日高見水神」と記されており、
当社は北上川の水神(河神)と見られていたのかもしれない。
祭神は天照大神で、相殿に日本武尊と武内宿禰を祀る。
拝殿の左手に、八幡神社と刻まれた石碑が立っている。
境内の左右に、同じような造りの境内社が一つずつ。
『平成祭データ』には、伊勢神社と愛宕神社の名前があるが
左右のどちらがどちらかは、わからなかった。
『明治神社誌料』には、科戸神社と若木神社の名前がある。
境内入口 | 参道と御神木の欅 |
境内 |
境内 | 社殿 |
本殿 | 社殿 |
社殿 |
境内左の境内社 | 境内右の境内社 |
八幡神社と刻まれた石碑 |
「日高見神社」
御冷泉天皇の康平歴年中(千五十八〜千六十九)、源義家が貞任討 伐の折、神殿を造営して武内宿弥を併祀し、祭田を寄進した。 社殿は、永正八年(千五百十一)山内首藤、葛西の合戦の折、兵火に罹って 焼失し、宝永年間(千七百四〜千七百十)に再建された。現在の社殿は、拝殿・ 幣社・本殿とも昭和四十五年に改築された神明造りである。 延喜式内社奥州百座中・桃生郡六座の一つとして社格を誇り、古くから 遠近の信仰を集めてきた日高見神社は、この百社中所在地も明確で 郡内六座の筆頭である。 −社前案内板− |