![]() |
|
|
巖鬼山神社
がんきさんじんじゃ
青森県弘前市十腰内字猿沢78

|
||
旧村社
御祭神 |
青森県弘前市にある。
岩木山の北麓10Kmほどに鎮座。
弘前鯵ヶ沢線の十面沢あたりから、南へ入り1Kmほどで社前に到着する。
境内には巨木が多く、参道の右手には沢も流れて、無茶苦茶気持ちが良い。
特に、社殿左手の二本の大杉は、壮観。
社殿に座り込んで、しばらくの間、もの思いに耽っていたら、
このまま、自然の中に解けて、消えてしまいそうな、そんな雰囲気。
社伝によると、延暦十五年(796)の創立。
もとは、巌鬼山西方寺観音院。
今でも、津軽三十三観音に一つであり、本殿も仏堂風。
坂上田村麿により、大同二年に再建されたという。
元来、岩木山山頂の奥宮に対する、下宮であったが、
寛治五年、当地から百沢へ遷座したのが今の岩木山神社という。
ということで、津軽国一宮・岩木山神社の元社。
岩木山神社の鎮座地が百沢というのは、
当社から百の沢を越えて遷って行ったからだという。
社殿前の狛犬は、毛糸らしき帽子を被り、ニヤついた顔。
社殿には津軽牡丹らしき紋様がついていた。
津軽地方の神社仏閣に多い紋章らしい。
境内入口 ![]() | 参道 ![]() | 参道右の龍神社 ![]() |
拝殿 |
![]() |
帽子を被った狛犬 ![]() | 本殿 ![]() | こっちも ![]() |
境内左手の大杉 |
![]() |
境内社 ![]() | 境内社 ![]() |
御由緒
當神社ハ桓武天皇ノ御宇延暦十五年ノ
草創ナリ大同二年征夷大将軍坂上田村麿公
奥羽戡定ノ時霊験ヲ蒙リ當社ヲ再建セリ爾来岩木山上ノ社殿ヲ奥宮當神社ヲ下居宮ト稱セリ 堀河天皇ノ御宇寛治五年當神社ヨリ壱百ノ谿澗 ヲ越エテ社殿ヲ建立セシハ今ノ百澤岩木神社ニシテ 壱百ノ澤ヲ越エタルヲ以テ百澤ト稱セリト云フ 傳云往時岩木山三所大権現(岩木山 巖鬼山 鳥海山)ト 稱セラレタリト巖鬼山ニハ西方寺観音院ヲ置キ寺禄百石賜ハル 當社殿ハ慶長二年舊藩主津軽為信公改築セ ラレシヲ元禄二年宝暦九年安政元年明治廿 八年大正十年ノ修繕ヲ経テ今日ニ至ル −拝殿由緒書きより−
また、文安五年(一四四八)に社殿が野火によって焼失した ため長見氏によって再建、その後、藩祖津軽為信が修復したほ か、慶長九年(一六〇四)にはその子信建が「津軽総領主宮内 大輔藤原臣」銘の鰐口(県重宝)を奉納している。 やがて百澤寺に併合されたが、神社は元禄四年(一六九一) に氏子によって再興され、明治六年(一八七三)巌鬼山神社と 改称した。 本殿や厨子は、近世津軽地方の小仏堂が神社に変わった典型 的なもので、細部の様式などもよく時代の特徴を残している。 また、大杉は樹齢千年以上、高さ四一メートルを越える巨大 なもので、県内にはこれに勝るものがなく、神社の歴史を語る とともに、津軽三十三観音の巡拝者をはじめ多くの人々の信仰 を集めている。 −境内案内より− 巌鬼山神社
当神社は、桓武天皇の御世延暦15年の草創なり、大同2年征夷大将軍坂上田村麿公奥羽平定の時、霊験を蒙り当社を再建せり、爾来岩木山上の社殿を奥宮、当神社の下居宮と称せり、堀河天皇の御世寛治5年当神社より壱百の渓谷を越えて社殿を建立せしは、今の百沢岩木山神社にして壱百の沢を越えたるを以て百沢と称せり。伝云、往時岩木山三所大権現(岩木山・厳鬼山・鳥海山)と称せられたりと、厳鬼山には西方寺観音院を置き寺禄百石を賜る、当社殿は慶長2年旧藩主津軽為信公改築せられるを、元禄2年、安政元年、明治28年、大正10年の修繕を経て今日に至る。 −『平成祭データ』− |
【 巌鬼山神社 巖鬼山神社 】
