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鹿島神社
かしまじんじゃ
福島県福島市岡島字竹ノ内63
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式内社 陸奥國信夫郡 鹿嶋神社 |
福島県福島市にある。
福島駅の北東5Kmほどの岡島に鎮座。
胡桃川の東、道路に面して南西向きに境内がある。
参道入口には「鹿島神社」と刻まれた社号標。
階段を上ると鳥居。
鳥居の横には、「庚申」「太神宮」「申」
「弁財」「湯殿山」などと刻まれた石碑が並んでいる。
さらに階段を上ると広い境内。
境内には、八幡宮・熊野宮・青麻神社などの石祠が祀られている。
拝殿は入母屋造。後方の本殿は流造。
本殿には覆屋根が設置されている。
境内の前には田圃がある。
参拝を終え、参道階段を下っていると
その田圃の緑が綺麗な色だったので
しばらく眺めていた。
帰宅して写真を見ると普通の緑なのが残念。
成務天皇の御代、信夫国造・久麻直命が
東北開発を祈願して、常陸国・鹿島大神宮を
高松山山頂に勧請したという。
あるいは、鹿島大神宮東征の時
天神平に鎮座していたものを額塚に遷座。
神威により通行者の落馬があったため高松山に遷座。
なお、神威止まず、高倉天皇に奏聞して
安元年中、源氏山に遷座。
さらに現在地・竹ノ内に遷座したとも。
上記の古社地・高松山は当社の東にある
192mほどの山。
山頂には、当社の奥ノ院の石祠があるらしいが
参拝時には知らなかったので、登っていない。
場所は、このあたり→
源氏山は、当社のすぐ南にあり
場所は、このあたり→
当社の特殊神事に、
十月の例祭に行われる「水かけ祭」がある。
昔、この里に疫病が流行った時
神のお告げにより、水かけを行った処
ただちに悪疫が一掃されたという。
境内入口の東側に砂利を敷いた駐車場があるが
その先に、水天宮を祀った池がある。
「水かけ祭」は水祭場で行われるらしいが
ここが水祭場だろうか。
社域 |
鳥居 | 水天宮 |
石碑 | 石碑 |
境内 |
社殿 | 覆屋の本殿 |
八幡宮・熊野宮・青麻神社等の石祠 |
延喜式内 鹿島神社
人皇十三代 成務天皇の御代 信夫国造 久麻直命(しのぶのくにのみやつこ
くまのあたいのみこと)が東北開拓祈願の爲 常陸の鹿島大神宮を高松山に勧請
した 後年 社地を源氏山に遷したが 醍醐天皇の延喜年間には信夫五社
の一として国史に載せられた古社である 高倉天皇の安元二年(一一七六年)
には勅使を御差遣せられ その後 南朝の忠臣 北畠顕家は その臣
高松近江守定隆をして再興せしめら 寛延年間 火災の爲焼失 後 規模
を縮小して現在地に斎祀し 治水農桑 悪疫退散の神として郷民の信仰を
あつめ今日に至った御祭神 武甕槌命(たけみかつちのみこと) 毎年秋季に行われる奇祭 水かけ祭は 昔 この里に悪い病が蔓延した時 神のお告げにより それの平癒を祈願して 水かけを行った処 霊験忽ち 現れて悪疫は一掃された 爾来 毎年 無病息災 村中安穏を願って水か けを行い 延々八百数十年の永きに亘り継続されて来たものと伝えられる 氏子を七組に分け 毎年各組の持廻りで祭礼が行われるか これは頭屋制 と云って 神社神道以前の斎祀の在り方で 全国的にも珍らしい制度である 福島県より重要無形民俗文化財に指定せられ 又 福島県十大祭に列し 祭礼の御神酒は特に濁酒の醸造が公許されている −境内石碑より− |