[HOME] > [神社記憶] > [北海道東北地方] > |
|
鎮岡神社
しづめがおかじんじゃ
岩手県奥州市江刺区岩谷堂五位塚179
かしこしな あらふるとても ぬさとらは こころしつぬの 岡の神籠
|
|
式内社 陸奥國江刺郡 鎮岡神社 |
岩手県奥州市江刺区にある。
水沼江刺駅の北3Kmほど、456号線の東そばに鎮座。
道路から少し降りた場所に入口の鳥居が、西向きに立つ。
階段を登ると、菅江真澄の歌碑が立ち、参道を曲がって境内。
緑の草に覆われた境内の中央に、南向きの社殿へ通じる道。
創建年代は不詳。
式内社・鎮岡神社に比定されている古社。
当社鎮座地は、平泉の藤原清衡の居住地のあった場所だそうで、
平泉文化との関係が密だったといい、藤原氏の崇敬が篤かったという。
社名の読みは、「しづめがおか」だが、
一般に「じんがおか」とも呼ばれている。
『吾妻鏡』文治五年九月三日の条に、
「二品陣岡蜂社に陣せしめ給う。」という一文があり、
当社のことであろうと考えられている。
明治六年村社に列し、昭和二十年十一月八日郷社に昇格した。
参拝した日は雨だったためか、緑が鮮やかな境内。
社殿の右手奥には、不動明王を祀ったお堂がある。
境内の菅江真澄の石碑には三巴紋が付けられ、
拝殿内の幟にも三巴紋が染められていたが、
『神社名鑑』には神紋の記載がない。
境内には不動明王を祀る祠(お堂?)があり、
天照皇大神、牛頭天王などと刻まれた石碑が祀られている。
境内入口の鳥居 | 境内の鳥居 |
参道階段には菅江真澄の石碑 |
拝殿 | 拝殿内部 |
拝殿 | 本殿 |
境内 |
並んだ石碑 | 不動堂 |
延喜式内社 鎮岡神社由緒
当神社御祭神は天の下造らしし大神にして、神事を主
宰し、農耕を保障する穀神として国民の生業を守護し給
う大己貴命(大国主神=大黒さま)である。律令国家当時は、神階を授かり幣帛をあずかる官社と して保護が厚く、「延喜式」の神名帳に記されている神社で ある。(陸奥国百座内 岩手県十四座) とりわけ前九年、後三年の役のあと亘理権大夫藤原経清 と安倍頼時の娘との間に生れた藤原清衡公は、篤くこの 神を尊崇し、豊田城を構えた際当神社の御社殿を修築し、 天下泰平武運長久祈願のしるしとし、荘園十町歩を献奉、 宝庫を建立、武具一式を奉納せしが、のち兵火で炎上し たと伝えられる。 その後、時経りて天明五年秋、三河の国の国学者菅江 真澄が当神社にぬさたいまつらんと訪れ、今当神社の御 神歌と奉る「かしこしな あらふるとても ぬさとらは こころしつぬの 岡の神籠」は、真澄遊覧記「委波氐廼 夜座」に記されている。 明和五年御社殿修築、天保六年再建奉遷、明治六年村 社に列格され、その後、御神威を仰ぐ県内外の氏子崇敬 者崇信の誠を捧げし寄進をもって、境内を拡張整備、昭 和二十年十一月八日郷社に列せられる。 −境内案内板− |
【 鎮岡神社 】