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伊豆神社
いずじんじゃ
岩手県遠野市上郷町来内第6地割32−2

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旧無格社 |
遠野市来内にある。
遠野駅から来内川にそって南下し、6Kmほど。
道路わきの入口をはいり、赤い鳥居をくぐって、
少し登った丘の中腹に鎮座している。
木々の間、射し込む木漏れ日の間に社殿が見える。そんな場所。
神の始 遠野の町は南北の川の落合に在り。 以前は七七十里とて、七つの渓谷各七十里の奥より売買の貨物を聚め、 其市の日は馬千匹、人千人の賑はしさなりき。 四方の山々の中に最も秀でたるを早地峰と云ふ、 北の方附馬牛の奥に在り。 東の方には六角牛山立てり。 石神と云ふ山は附馬牛と達曾部との間に在りて、 その高さ前の二つよりも劣れり。 大昔に女神あり、三人の娘を伴ひて此高原に来り、 今の来内村の伊豆権現の社ある処に宿りし夜、 今夜よき夢を見たらん娘によき山を与ふべしと母の神の語りて寝たりしに、 夜深く天より霊華降りて姉の姫の胸の上に止りしを、 末の姫眼覚めて窃に之を取り、我胸の上に載せたりしかば、 終に最も美しき早地峰の山を得、 姉たちは六角牛と石神とを得たり。 若き三人の女神各三の山に住し今も之を領したまふ故に、 遠野の女どもは其妬を畏れて今も此山に遊ばずと云へり。 −『遠野物語 第二話』より− |
遠野物語に登場する伊豆権現の社。
遠野三山の母神を祀る。
『綾織村郷土誌』には、
前九年の役で敗れた安倍宗任の妻「おない」が
「おいし」「おろく」「おはつ」の三人の娘を連れて当地へ隠れ、
人民の難産難儀の治療にあたり、人命を助けた功により祀られたとの
伝承が記載されている。
母神を祀っているはずだが、御神体は獅子頭だそうだ。
さて、遠野三山の位置と当社の位置を見てみると、
どうして、この社が母神となるのか、理解できる。
当社を起点に、各山への線上に、各山の女神を祀った神社が存在する。
まず、三山があり、当社が設立された後に、
早池峰、六角石、石上の各社が設立されたとしか思えない配置。
当社が、遠野の「神の始」に違いない。

境内入口 ![]() | 鳥居 ![]() | 参道 ![]() |
参道と社殿 |
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社殿 ![]() | 社殿 ![]() |
由緒
大同年間(八〇六−八〇九年)早池峰山を開山した四角藤蔵(後に姓を始閣と改めた) が来内権現の霊感を得て故郷の来内に戻り、自家の裏に一草堂を建てて朝夕これを崇拝し たとのことである。当時この話を聞いた伊豆走湯関係の修験者がはるばる此の地に来て権 現の由来を基に獅子頭を御神体として奉ったものである。故に伊豆大権現と称され千二百 年以上にわたり広く信仰を得て来たものなり。明治維新後に伊豆神社と改めて現在に至っ ている。この獅子頭は桐を素材とした見事な彫刻で漆の上に金箔を貼った跡があり古色蒼 然としており、大変貴重な文化財産である。去る昭和五十六年二月二十三日に遠野市より 市の文化財として指定を受けている。山にも木にも石にも神様が宿っておられる。厳しい 自然環境の中に神とともに生きる町ー遠野。その中でもこの伊豆神社は遠野の神社の始ま りであり、我々は遠野に住む者として更には日本人としての認識を改めるとともに、この 貴重な歴史的神道遺産を大切に守り次の世代へと申し送って行かねばならない。 −由緒書きより− |
【 伊豆神社 (遠野) 】
