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佐倍乃神社
さえのじんじゃ
宮城県名取市愛島笠島字西台2

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旧郷社 |
宮城県名取市にある。
JR名取駅から西へ4Kmほど。
現社名は、佐倍乃神社。旧号は、笠島道祖神社という。
佐倍乃は「さえの」と読み、いわゆる「さえのかみ」。
赤い鳥居にも「正一位道祖神」と記されている。
社伝によれば、日本武尊東征の時の勧請。
平安時代、陸奥守に任じられた藤原実方中将が、
神前を騎馬のまま通過し、その無礼のため落馬して死亡。
その墓は、当社の北700mの林の中にある。
当社の東から北上する道の途中に案内がある。
境内には、式内・佐具叡神社の後裔社がある。
祭神は現在、高皇産霊神。
一説には岐神、あるいは福井神など諸説あって、分からない。
鳥居 ![]() | 神門 ![]() |
社殿 ![]() | 拝殿 ![]() |
境内左手の 佐具叡神社 ![]() | 本殿 ![]() |
境内社 ![]() | 拝殿扁額 ![]() | 境内社、稲荷? ![]() |
藤原実方中将の墓 |
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佐倍乃神社(笠島道祖神社)由緒
佐倍乃神社は、元禄二年五月俳聖松尾芭蕉
の「奥の細道」行脚の時に「笠島はいずこ五
月のぬかり道」とよんだ句にある名取市愛島
笠島に鎮座している神社で、旧社号を笠島道
祖神社と称しました。祭神は猿田彦大神と天鈿女命で、景行天皇 四十年の日本武尊御東征の時から毎年四月二 十日を祭日としています。 慶長七年野火に遇い、社殿及び古来の宝物 、文書等一切焼失しましたが、後柏原天皇の 時大永二年十月二十三日本殿造営されました 。文禄元年二月十五日伊達政宗公社殿の修繕 、又元禄十三年十月十九日綱村公拝殿を修造 し祭田二貫文を寄進する等歴代の藩主公厚く 尊崇されました。 祭神の猿田彦大神は、天孫降臨の際道をお 開きご案内した事から道の神と、又御夫婦の 神である天鈿女命と共に人間生活の道を守る ところから縁結び、夫婦和合の神と祀られて おり、例祭日には宮城県無形文化財に指定さ れている出雲流の「道祖神神楽」が奉納され ます。 尚平安朝時代の長徳四年陸奥守に任ぜられ た藤原実方中将朝臣が、赴任途中当社の前を 通過した途端落馬し、一命を落した事は歴史 的に有名であり、その墳墓は当社より北方約 七〇〇米の塩手字北野にあります。 −境内案内− |
【 佐倍乃神社 】
