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駒形神社
こまがたじんじゃ
岩手県奥州市水沢区中上野町1−83
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陸中國一宮 |
岩手県奥州市水沢区にある。
水沢駅の南西1Kmほどの水沢公園の一角に鎮座。
当社は、奥宮のある駒ケ岳山頂に鎮座していたが、
参拝不便であるため、明治36年に鹽竃神社境内に遷座された。
鹽竃神社は、境内別宮として祀られていた春日神社に合祀され、
鹽竃神社と名を変えて、春日神社の名は消滅した。
玉突き事故のような、事の顛末。
創祀年代は不詳。
社伝によれば、雄略天皇21年に、京都の籠神社から
宇賀御魂大神を分霊し奥宮へ奉祭。
里宮へは大宜津比売神と事代主神を配祀した。
一説には、景行天皇40年、日本武尊東征のおりに、
天照大神を中心に、左右に、置瀬命・彦火々出見尊、天常立尊、
吾勝尊、国狭槌命を勧請した。
その後も、坂上田村麿や慈覚大師、源義家など多くの祈願伝承が残っている。
駒ケ岳山頂に奥宮があり、麓の金ヶ崎町西根と和賀町岩崎に里宮がある。
鹽竃神社は、源頼義・義家親子が、安倍貞任征伐のため、宮城の鹽竃神社に祈願し、
凱旋の後に、当地へ勧請されたものだが、
山頂の奥宮、麓の里宮が、参拝に不便であるため、
ここに遥拝所を設け、明治になって、駒形神社となった。
祭神、駒形大神は、一般に馬の守護神とされ、
東日本に多くの駒形神社が存在する。
大日如来や馬頭観音とも習合し、
天照大神、天忍穂耳尊、宇賀御魂大神、毛野氏の氏神、
有名な神馬、蒼前神など、多くの説があり、はっきりしない。
当地が、古代の軍馬の一大産地であり、馬神信仰へ結びついたものだろう。
里宮へも参拝しようと、鎮座地へ向ったが、
雨が強くなり、田の中を通る農道に車を停めて、しばらく待つ。
ふと見ると、雨の田の中に、こんもりとした森。
なにやら、怪しげな雰囲気に吸い込まれるように、
傘をさして、森の中へ入ると、稲荷神社が祀られていた。
背筋が、ゾクッとしたが、不快なものではなかったので、
しばらく、森の中に居て、雨が上がったので、宿へ戻った。
ということで、里宮参拝を忘れてしまった。
鳥居と社号標 | 神門 |
境内と茅ノ輪 |
社殿 | 扁額 |
拝殿 | 本殿 |
鹽竃神社 鹽土老翁神 武甕槌命 經津主命 (合祀)天兒屋根命 比賣神 藤原鎌足 | 本殿右に山神社 大山祇命 木華開耶姫命 |
神楽殿 | 招魂社 護國の英靈 |
奥宮は、元は大日岳(栗駒山)山頂にあり、
その残雪が、遠くから馬の疾駆姿に見えるらしい。
今の奥宮は、金ケ崎の駒ケ岳山頂にある。
登ってみようと思ったが、登山口に付いた頃はあいにくの雨だったので止めた。
奥宮登山道入口 |
案内板 |
参拝のしおり
御鎮座地本社 岩手県水沢市中上野町一 奥宮 岩手県胆沢郡金ヶ崎町西根字駒ヶ岳 御祭神 駒形大神 文徳天皇仁寿元年正五位 清和天皇貞観四年従四位下(奥州最高の神階也) 延喜の制により小社と列せられる 奥宮について 往昔の奥宮は大日岳の頂上に鎮座していた。大日岳とは現在の奥宮の鎮座地なる駒ヶ岳の南方に高くそびえる霊山で、現に駒形大明神と銘する神号碑がある。 この駒ヶ岳、大日岳は牛形山その他の山々とともに旧噴火山の外輪山を形成し、駒形山というのはこれらの連峰を総称したものであり、当社が最初大日岳に鎮座せられたというのは、この岳が連峯中の最高峰であったためである。 近世の奥宮は、現在地の駒ヶ岳の頂上に建造され建坪、三坪三分五厘、宝玉造で東北にむかっている。この地、山陽は胆沢郡で伊達氏の旧領地であり、山陰は和賀郡で南部氏の旧領地であり、両氏領土の境界に鎮座せられそのうえ両氏の崇敬はなはだ厚かったから、神祠は両氏の公費営繕で二十年ごとに改造されるというのが例であった。 本社について 当社の社地はもと塩釜神社の鎮定地であったが、明治四年五月十四日国幣小社に列せられた時、里宮、奥宮ともに交通不便の地にあるため県知事等の参向することもできかねる為、当時水沢県庁の所在地であった現社殿を仮遥拝所とした。さらに明治七年社殿を大いに修理し正式の遥拝所とした。さらに明治三十六年、神霊を山頂より遷座、塩釜神社は同社の別宮なる春日神社に合祀して、社殿いっさい駒形神社に編入した。 本殿、拝殿はもと水沢城主留守宗利が寛永六年に建立したものであるが、安政六年火災に罹りことごとく烏有に帰したため、留守邦命文久三年再興したものである。なかでも本殿は西磐井郡衣川村の大工熊谷萬吉が奉納した欅(けやき)の巨木一本ですべて作られた、三間社流造である。 さらに現社殿は、昭和八年奉遷三十周年を記念し総工費六万二千六百円(内務省補助三万二千六百円)をもって大修理、新築、社地の整備をし名実ともに陸中一の宮にふさわしい神社となったものである。 里宮について 里宮は駒ヶ岳の山麓およそ十二Kへだてた金ヶ崎町西根字雛子沢に鎮座して戦前は境外末社として位置づけられていたが現在は、新法に依り独立して祭典を行っている。 奥羽観蹟聞考誌によれば、奥宮の鎮座地は天下の霊山であり、山勢はなはだ峻険であるため登拝して御神霊を拝すること困難、さらに中腹のウガイ清水より先は女人禁制であったので、里人、老若婦人の参拝の便をはかり御神霊を勧請して奉斉したとある。 旧南部領岩崎にも里宮があるが、今は当社との関係は絶えている。 −『平成祭データ』− |