[HOME] > [神社記憶] > [北海道東北地方] > |
|
鹽竈神社
しおがまじんじゃ
宮城県塩竈市一森山1−1
常滑のかぐろき石の石階を 千重ふみのぼる塩釜の宮
|
|||
式外社 鹽竈神社 延喜式主税式 |
宮城県塩竈市にある。
JR東北本線塩釜駅の北1.5Km、仙石線本塩釜駅の西1Km。
同一の境内に志波彦神社が鎮座している。
南にある表参道に石鳥居があり、階段上に楼門。
唐門内には、正面に左右宮、右手に別宮と3つの本殿を持つ。
鹽竃神社と志波彦神社の中間地点にある境内図 |
「鹽竃」の名の由来は、境外末社の御釜神社の御神竈。
鹽土老翁神が、当地で塩の作り方を教えたという。
左右宮に祀られる武甕槌命・経津主命は、鹽土老翁神が先導して当地へ迎えたもの。
とすると、主祭神は鹽土老翁神と考えられるわけだが、
これらの祭神は、四代藩主伊達綱村公が元禄六年(1633)、
家臣の識者に命じて撰述した『鹽竈神社縁起』によるもの。
本来の祭神であるかどうかは、不明ということらしい。
当社の創建は、相当古いようだが、史料にはない。
また、延喜式内社でもないのは不思議なところ。
延喜式内社とは、『延喜式』の「神名帳」記載の神社であるが、
当社は「神名帳」にはなく、同じく『延喜式』の「主税式」や、
『延喜式』以前の『弘仁式』の「主税式」にはその名があるのだ。
神紋の鹽竈桜は、八重桜の中心に三枚の細い葉があるもの。
別宮の南に植えられている。
堀川天皇は、この桜を歌に詠んだ。
あけ暮れてさぞな愛で見む塩釜の
桜が下の海士のかくれ家
表参道から急な階段を上ると楼門がある。
唐門正面に、南面して左宮と右宮。
右手に、西向きに別宮が鎮座している。
唐門左手に境内社があり、稲荷・住吉・八幡・神明の四社が祀られている。
境外末社としては、御釜神社・牛石藤鞭社・鼻節神社、
松島湾内の和歌の名所として知られる籬島の曲木神社がある。
表参道の石鳥居 | 表参道の階段 |
参道と楼門 |
唐門 | 志波彦神社側、東神門 |
左宮・右宮 | 別宮 |
左右宮本殿 | 別宮本殿 |
境内から楼門 | 御神木の大杉 |
境内社、稲荷・住吉・八幡・神明 |
稲荷社 | 住吉社 | 八幡社 | 神明社 |
鹽竃神社
鹽竃神社は、一森山と名付けられる海抜五十七メートル、総面積二十七
ヘクタールの小山に鎮座している。神社の創祀については古く、明証され
る記録の弘仁・主税式(八二〇年)後に延喜・主税式にもその名がみえ、
祭祀料一万束を寄せられたことも記され、国土開発・海上守護・安産守護・
武徳の神として全国に知られている。鹽竃神社は別宮に塩土老翁神・左宮に武甕槌神・右宮に経津主神の御三 神をお祀りしている。武甕槌神と経津主神は、武神である。社伝によれば、 常陸の国(現・茨城県)下総の国(現・千葉県)よりこの二神を塩土老翁神 が案内して、海路をわたってこの地に上陸し、この東北を開発したもので、 奥州一宮と尊称されている。 塩土老翁神は、いまは安産の神として全国に知られている。もともとこ の神は、「岐神」の別名があり、海上安全・大漁の神として、漁業従事者 の信仰をあつめている。また「しおつちのおじのかみ」とあるように、塩 のつくり方を教えた神であると伝えられる。 当社は古くから東北鎮護・陸奥国一宮として、朝廷をはじめ庶民の崇敬 を集めて今日に至っている。古くは、東北を治めた国司をはじめ平泉の 藤原氏・陸奥国の留守職であった伊沢氏等武将・豪族の崇敬も並々ならぬ ものがあった。殊に伊達氏は慶長五年政宗公が玉造郡岩出山から仙台に居 城を移し、慶長十二年六月社殿を造営し奉斎の誠を捧げて以来歴代藩主は 社領・太刀・神馬等を寄進し自ら参詣して神前に祈願された。 現在の社殿は、第四代藩主伊達綱村公が元禄八年神社御造営の計画をた てて工事に着手し、第五代藩主吉村公の宝永元年(一七〇四年)まで九ヶ 年の歳月をかけて竣工されたもので、拝殿の擬宝珠には当時の藩主・普請 奉行等関係者の名前が彫り刻まれている。本殿三社とも木造素木流造桧葺、 三方に勾欄の縁を巡す。別宮並びに左右宮の拝殿は何れも朱漆入母屋造銅 板葺で、宝永以降二十年に一度の御屋根葺替の式年遷宮の制度が設けられ 現在に至っている。昭和三十四年本殿・拝殿・唐門・廻廊・楼門・石鳥居 などが宮城県重要文化財に指定された。 −参道案内より− |