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遠流志別石神社
おるしわけいしじんじゃ
宮城県登米市石越町北郷字中沢81
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式内社 陸奥國栗原郡 遠流志別石神社 |
宮城県登米市にある。
石越駅の西3Kmほどの北郷字中沢に鎮座。
4号線から北へ入った場所。小学校の西。
緩やかに下る道路の脇に参道入口がある。
参道を歩くと、鳥居があり、
鳥居の右手に、「金華山 黄金山神社」と
扁額に書かれたもう一つの鳥居が建っている。
奥には、黄金山神社と刻まれた石碑。
参道をさらに進むと境内。
境内の奥に社殿があり、
拝殿の後方に、流造の本殿。
本殿の後方に、三個の岩が転がっており、
注連縄が掛けられていた。
当社は、通称「石神様」と呼ばれており、
この岩が御神体なのだそうだ。
が、参拝時にそのことを忘れてしまい
まともに写真を撮っていなかった。
ということで、辛うじて部分的に写ってた写真を掲載。
参拝は、曇天のため、やや暗い夏休みの午後。
社伝によると、
景行天皇四十年、皇子・日本武尊東征のおり、
伊勢神宮に参拝し、倭姫命より明玉を授かった。
これを頭上に戴けば、たちまち賊を鎮定できると。
無事、東国平定の後、この地に至るや
明玉は霊石と化し、よってこの地に祀ったという。
その霊石は、年々小石を産むが故に
里人は石神明神と尊崇し、石子石=石越という地名となった。
和銅二年(709)、巨瀬麻呂蝦夷征伐のおり、
従者であった近江国栗田郡の建部氏が本社を再興し、
代々奉仕してきたが
文治五年(1189)藤原泰衡滅亡に伴い社殿退廃。
安永年間(18世紀後半)田辺希元の調査により
式内社・遠流志別石神社であることが明らかとなり
天明六年(1786)、小野寺新右衛門によって再興された。
祭神は、倭健命(日本武尊)。
異説として、邑良志別君の祖神を祀るという説もある。
参道入口 | 鳥居 |
黄金山神社 | 黄金山神社 |
参道 | 境内 |
境内 |
拝殿 | 本殿 |
本殿後方の石、奥に注連縄された石神明神が見える |
遠流志別石神社縁起
−参道石碑− |
【 遠流志別石神社 (登米市) 】