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雄鋭神社
おとのじんじゃ
宮城県栗原市栗駒稲屋敷高松51
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宮城県栗原市にある。
東北本線・石越駅の北西24Kmの栗駒稲屋敷に鎮座。
くりはら田園鉄道・尾松駅が近いのだが、
2007年に廃止されるので、最寄駅は石越駅。
言葉では場所が説明しにくいのだが、
田畑の広がる場所にある集落のはずれに境内がある。
参道入口の鳥居をくぐると、参道にもう一つの鳥居。
奥に進むと、集会所のような参篭所のような
建物があるが、社務所だろうか。
その左手に、上に登る階段。
階段を登ると開けた境内があり、
奥の中央に社殿がある。
境内は、それほど広いわけではないが、
入口からは想像できない奥行きを感じさせる。
周囲の木々も豊富に茂り、雑草も整理されて
華美ではないが大切にされている様子がわかる。
人皇第十二代景行天皇の御宇、
日本武尊東夷征伐のおりに勧請されたという。
後、大同二年(807)坂上田村麿により再建。
別当寺天台宗春日山高松寺があり、
社人七人、坊舎二十四宇を数えたが、
永享年間(1429〜1441)一山炎焼し、
天正年間(1573〜1592)の兵火により退廃。
慶長年間、現在地に遷座し、
元社地を奥の院、現社地を里宮と称するようになった。
奥の院の位置は、『式内社調査報告』には、
現在地の北西2Kmにあり、鐘楼や仁王堂跡が残っているという。
ただし、社前の社号標には、北西500mと記されていたので、
周囲を歩いてみたが、林の奥にあるのかよく分からなかった。
また、同じく『式内社調査報告』には、
白山・月山・箱根・若宮・運難・寶領・金田の
七末社があり、本社と合せて八所権現(八社権現)と
称していたとあり、明治四十二年に、本社に合祀されたとある。
同年に、大鳥荒神社・愛宕神社・清水田神社・山神社を合祀し、
翌四十三年に、白鳥神社・八面神社を合祀した。
境内の左右に境内社がある。
右手の社殿は祖霊社(氏子の祖靈)。
左手には幾つかの石祠があるが名前はわからなかった。
『平成祭データ』には、保食神社(倉稻魂神)、
箱根神社(木花開耶姫命)、九ノ戸神社(九戸政實)などの
名前があるが、これらの石祠のことかどうかわからない。
神紋は確認できなかったが、
本殿の屋根に、桐と菊の紋が付けられていたので、
とりあえず掲載しておく。自信はない。
参道入口 |
参道 | 社務所か |
境内 |
拝殿 | 本殿 |
境内左の境内社 | 境内右の祖霊社 |