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龍田大社
たつたたいしゃ
奈良県生駒郡三郷町立野南1−29−1
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式内社 大和國平群郡 龍田坐天御柱國御柱神社二座 並名神大 月次新嘗 |
奈良県の三郷町にある。
三郷駅から北へ、少し登ったところに境内がある。
境内入口には、朱の大きな鳥居が建っており、
鳥居の左手に「官幣大社龍田神社」と刻まれた社号標。
鳥居扁額には「龍田本宮」と記されている。
鳥居をくぐると砂利の境内。
参道右手に手水舎があり、参道の奥に入母屋造の拝殿がある。
拝殿の奥、垣の中に幾つかの摂社・末社がある。
資料によると、左手に摂社、龍田比古神社と龍田比売神社。
右手には三棟並び、上座に天照大御神・住吉大神、
中座に枚岡大神・春日大神、下座に高望王が祀られているらしい。
さすがに官幣大社で風格がある。境内も広い。
御朱印をいただくついでに「祓い守」という黒い御守りを買った。
竜が刺繍されてカッコイイ。
ついでに引いたおみくじも大吉だった。
第十代崇神天皇の頃、国内に凶作・疫病が流行した折、
天皇の御夢に「吾が宮を朝日の日向処、夕日の日隠る処の龍田の立野の小野に
吾が宮を定めまつりて云々」という神託があり、造営されたらしく、
その後、疫病は退散し、豊作となったという。
また、『日本書紀』によると
天武天皇が、小柴美濃王と小錦下佐伯連廣足を派遣して
龍田の立野に風神を祀らしめたという。
天武天皇四年(675)から平安時代まで
年に二度、勅使参向のもと祭祀が斎行された大社で、
朝廷奉幣二十二社の中七社に名を連ねたが、
鎌倉時代の動乱により社勢は衰退した。
明治になって神社制度が整備され、
明治四年五月官幣大社に列格した。
社殿左手に白瀧神社・龍田恵美須神社・三宝稲荷神社。
参道左手の池に、下照神社がある。
白龍神社は、江戸末期に当社に出現した白蛇を祀る。
明治になって突然姿を隠したが明治41年、
葛城郡の「にごり池」に白龍として出現されたのを迎えたという。
三郷駅に近い丘の上には、当社の境外社・神奈備神社がある。
社号標 | 鳥居 | 鳥居扁額 |
境内 |
拝殿 | 本殿 |
摂社 龍田比古神社 龍田比売神社 | 末社 上座 天照大御神・住吉大神 中座 枚岡大神・春日大神 下座 高望王(桓武天皇曾孫、平家の祖)の妃 |
下照神社 | 白龍神社 |
白龍大神 |
龍田恵美須神社 | 三宝稲荷神社 |
三郷駅そばにある、神奈備神社 |
龍田大社 奈良県生駒郡三郷町立野。旧官幣大社(現、別表神社)。祭神天御柱命・国御柱命を祀り、摂社に龍田比古龍田比売神社がある。『延喜式』祝詞に「龍田風神祭祝詞」があり、これによれば崇神天皇のとき、五穀凶作が続いたので、天皇が悩み、夢にこの神が現われお告げがあったので創祀したとあるが、天武紀四年四月一〇日条に小紫美濃王・小錦下佐伯連広足を遣わして風神を龍田の立野に祀らせた記事がみえる。大宝元年(七〇一)神祇令に孟夏、孟秋に広瀬社の大忌祭とともに祀られる例となり、風水の害なきを祈るものである、これは、『延喜式』によって詳細を知られるが、その四時祭上に供料の細目と、勅使の位階、員数等を明記し、「太政官式」・「式部式」にも記載している。更に臨時祭式にも春日、広瀬等とともに社庫の鑰匙については官庫に納め置き、祭に臨んで祭使が使用にあたることを記している。天武四年以降毎年広瀬とともに四月七月の祭を記載しており、嘉祥三年(八五〇)従五位上を叙せられたのを初めとして、神階昇叙し貞観元年(八五九)従三位となる。同年、大和の水分神山口神二六社とともに風雨を祈るため幣を奉られている。天平二年(七三〇)『大和国正税帳』に「龍田神戸稲肆伯参拾束捌把」、『新抄格勅符抄』に「龍田神三戸」とみえ、文禄四年(一五九四)大和郡山城主増田長盛の「日供米拾弐石」を先規の通りとすること、また慶長七年(一六〇二)片桐且元によって同額を安堵されている。延喜の制、名神大社、月次・新嘗の幣に預かる名社で「龍田坐天御柱国御柱神社二座」とみえる。また、永保元年(一〇八一)二二社の一に選ばれた。現在、農業・航空機・船舶・航海・漁業等、風に関係する者の信仰が篤い。例祭四月四日。前日に本社から○・五キロにある滝津瀬川で梁を張り魚を取る。それを岩瀬の森の川神に神饌を供え奉告の後、荷桶に入れて本社に担ぎ帰り四日奉献の後、もとの河に放魚する。これを滝祭りという。七月四日風鎮祭。 −『神社辞典』− 竜田杜 法隆寺より一里余りにある〔本社は立野にある〕。祭神 二座 天御柱神・国御柱神 天武天皇の四年(六七五)、小紫美濃王・小錦下佐伯連広足が勅を奉じて風神を竜田の立野に祭った。伊弉諾・伊弉冊の二神が吹かれた息気が神となったのが風神で、〔男を〕級長津彦命(しながつひこ)、女を級長戸部(しながとべ)命という。祭る神と異名同神である。伊勢にあっては風宮と称する。 滝祭神 一座〔伊弉諾・伊弉冊の二神が天逆鉾で下界を探り納めた神霊(水気神:すいきのしん)の御裳濯川辺に坐す滝宮と同じである〕。 (『国花記』による)
神南(かんなみ)〔あるいは神名備と書く〕竜田の近所にある。三室山も相続く〔大和・山城・丹波・備中・摂津、右五所に同名がある〕。 (古今)滝田川紅葉ばながる神なみの三室の山に時雨降るらし(読人不知) 亀瀬山 聖徳太子が始めて開いた河内道(亀瀬越)である。 天武天皇八年(六八○)に始めて竜田山に関を置いた。麓に大和川の源がある。 浅笹原 (万葉)神なみの浅ささ原の女郎花思ひやる君が声のしらけく(読人不知) 占手山 (名寄)吹く風に住まゐやすらん神なみのうらての山の峯の紅葉ば 恵慶 竜田川 明神より四、五町にある。三室山〔同じく岸〕 (金葉)竜田川しがらみかけて神なみの三室の山の紅葉をぞ見る 俊頼 (以上五項『国花記』による)
−『和漢三才図会』− |