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殖栗神社
えぐりじんじゃ
奈良県桜井市大字上之庄字南垣内477
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式内社 大和國城上郡 殖栗神社 |
桜井から西へ、上之庄にある。
神社へ向う途中から雨が降り始めた。
さっぱりとした境内・拝殿の裏に回ると、鮮やかな朱の本殿が目に入る。
撮影していると近所のおばあさんが参拝に来た。
こっちの撮影が終わるのを待っているようなので、
「すみません。どうぞ」と声をかける。
その後、少し話を聞いたところ、今年(2000年)正月に
屋根を吹き替え、塗りなおしたらしい。
どうりで、屋根はキンピカな銅版で、社殿の朱も美しい。
境内には「三十八社」と刻まれた灯籠があり
昔は三十八社と呼ばれていたことが分かる。
創祀年代は不詳。
明治までは三十八社と称していた神社だが、
維新後、境内を整備し、
神仏習合時の遺構である地蔵堂・庚申堂・石地蔵を浄福寺へ移転した。
明治四十年、字十ノ森に鎮座していた無格社・春日社を境内に遷座。
十ノ森の近くに、字エクリという地名があることから、
式内社・殖栗神社と考えられ、三十八社であった本社を殖栗神社と改称した。
ということは、境内社の春日社が式内社・殖栗神社なのだと思う。
ただ、『奈良県史』では、当社が小字「江繰」に鎮座していたとある。
十ノ森は、江戸初期までは「藤森(とうのもり)」と呼ばれ、
六柱の祭神を祀っていたらしい。
春日社の旧鎮座地である十ノ森は、上之庄の東南隅にあるらしい。
地図で確認すると、その位置に十之森神社という神社があるようだが、
春日社と関連があるのだろうか。
無関係なのかもしれないが、ひょっとすると、新たに再建されたのかもしれない。
祭神の殖栗王は、用明天皇の第三皇子。母は穴穂部間人皇女。
十ノ森から遷座された春日社と、二ツ神から遷座された稲荷社が境内に祀られている。
また、市杵島神社、天満神社、須佐之男神社が本殿内に合祀されている。
参道 |
拝殿 | 境内社二社 |
本殿 |
「三十八社」とある灯篭 | 稲荷社 | 十ノ森から遷された春日社 |
上之庄集落南西隅、寺川の右岸に鎮座。もと
は同集落北東隅の初瀬川南岸、上街道のすぐ西、
小字江繰にあったと伝える。祭神は殖栗王・天児屋根命。「延喜式」神名帳の城上郡「殖栗神社」
とされるが、江戸期の石灯籠には「三十八社」と
刻み、明治七年(一八七四)頃までは三十八社神
社と称していた。同四〇年小字十ノ森(とうのもり)にあった
春日神社を合祀、十ノ森の近くに字江繰があっ
たため社名を殖栗神社と改めた。春日神社の祭
神は不詳であるが、江戸初期には「藤森(とうのもり)、六神」
と記され、六柱の神を祀っていた。殖栗については
「日本書紀」に殖栗王・殖栗皇子の名がみえ、
また「春日社記」に、鹿島(現茨城県鹿嶋市)の神を
大和へ奉遷する際、随行の時風・秀行に殖栗連
の姓を賜ったことが記されている。
−大和・紀伊『寺院神社大事典』− |