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射楯兵主神社
いたてひょうずじんじゃ
兵庫県姫路市総社本町190
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式内社 播磨國餝磨郡 射楯兵主神社二座 |
兵庫県姫路市にある。
姫路駅の北東800mほどの総社本町に鎮座。
姫路城の南東部にある。
参道入口には「射楯兵主神社」と刻まれた大きな社号標。
参道の石鳥居は、慶安五年(1652)
藩主榊原忠次が寄進したもので、市指定文化財。
参道を進むと神門があり、神門の中が境内。
境内には立派な結婚式場(会館)があり
参拝した日には、披露宴も行われていた。
大きな拝殿の後方には、二柱を祀った大きな本殿がある。
欽明天皇二十一年六月十一日、
(別資料では二十五年)
姫路市水尾山に兵主神が祀られ、
それ以前に因達里に射楯神が祀られていた。
延暦六年、国衙小野江に
兵主神を奉遷し、射楯神を合わせ祀ったという。
式内社・射楯兵主神社に比定されている古社。
安徳天皇養和元年十一月播磨十六郡の神社を境内に祀り
以後、播磨国総社として崇敬されている大社。
当社の神紋は三つ巴と二つ引。
境内のアチコチに、この文様が付けられている。
鳥居と社号標 |
鳥居脇に稲荷神社 | 神門 |
社殿 |
拝殿 | 本殿の屋根 |
当社は播磨国総社であるためか、境内には境内社が多い。
全部確認できたかどうか記憶が曖昧だ。
確認したすべての社殿や賽銭箱に
各社独自の神紋が描かれていたのが印象的。
十二社合殿には、
一の宮(兵主神荒魂)・二の宮(射楯神荒魂)・
日岡社(天伊佐々比古神)・角社(級長津彦神 級長津姫神)・
手置帆負社・彦狭知社・秋葉社・羽黒社・道祖社・
鞍屋社・柿本社・東照宮が祀られている。
境内の鬼石は、
源頼光が大江山の鬼を退治して、
その首を持ち帰り、姫路城内の案内社傍らに埋め
標石としたもの。
案内社とともに当社境内に移されたらしい。
蛭子神社 | 十二社合殿 |
西播磨総神殿 | 東播磨総神殿 |
琴平社 | 鹿嶋社 |
神明社 | 戸隠社 | 稲荷社 |
案内社八幡宮 | 粟島社 |
長壁社 | 姫道天神社 |
厳島社 | 祖霊社 |
鬼石 |
射楯兵主神社
兵庫県姫路市本町。 旧県社(現、別表神社)。祭神は射楯神・兵主神の二柱。射楯神は鎮座年代不詳であるが、『播磨国風土記』の因達の里の条に「息長帯比売の命、韓国を平けむと欲ほして渡り坐しし時、御船前の伊太代の神、此処に在す。」とみえるので、それ以前の鎮座と考えられる。兵主神は、欽明天皇二五年飾磨郡伊和の里に鎮祭されていたのを、延暦六年(七八七)国衙小野江に奉遷し後に因達の里の射楯神を合祀したと伝える。延喜の制小社に列し、養和元年(二八一)国内一六郡一七四座の神を境内に合わせ祀り播磨国総社・府中社と称されるようになった。天正九年(一五八一)豊臣秀吉は現社地へ奉遷し一〇〇石を寄せ、代々の姫路城主もまた尊崇篤かった。当社では古来六一年目ごとに一ツ山大祭が、その間の二一年目に臨時祭として三ツ山祭が執り行われてきた。これは天慶二年(九三九)藤原純友の乱の際に平定祈願のため、勅使藤原好時が下向し天神地祇祭を執行したのに始まるという。竹と木を用いて造られた巨大な骨組みの表面に絹布を巻きつけた造り山の頂上の小祠に神霊降臨を願うもので、そのひな型は国の重要有形民俗文化財に指定されている。例祭日一一月一三〜一六日。
−『神社辞典』− 總(総)社 飾磨郡姫路〔侍町(姫路市総社本町)〕にある。 社領五十一石九斗祭神一座 大己貴命 額の銘にいう〔軍八頭正一位 總社伊和大明神〕。 言い伝えによれば、欽明天皇二十五年(五六四)六月十一日始めて祭る。宍粟郡伊和大明神と同じ。 神主 社家九人〔社僧〕一寺 毎年七月十五日祭。兵士らが集会して軍旅の威儀をする。天平宝字八年(七六四)異賊が襲来した。それで藤原貞国を遣わして追討させた。貞国が凱陣し賽幣して以来恒例とするか。 『延喜式』に射楯兵主の神というのがこれか。(神主及び末尾の一文を除き『国花記』による) 注 天平宝字八年……追討させた 国史に異賊襲来のことは載らず、藤原貞国という人物もない。 −『和漢三才図会』− 和漢三才図会では、伊和神社と混同しているか、あるいは、当時はそうだったのか。 |