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二方神社
ふたかたじんじゃ
兵庫県美方郡新温泉町指杭字仲瀬845
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式内社 但馬國二方郡 二方神社 |
兵庫県の新温泉町にある。
浜坂駅の東2.5Kmほどの指杭に鎮座。
岸田川と久斗川が合流する地点から東へ500mほど。
久斗川の北に広がる田畑の中に小さな社域があり、
遠くからでも確認できる。
幾つかの木々が聳える小さな森で
残念ながら鳥居や社殿はない。
鎮座地は、現在は指杭という地名で、
東隣りに田井という地があるが、
昔は指杭もすべて田井だったらしく、
境内入口に「田井村」と刻まれた灯籠が二基あるのみ。
創祀年代は不詳。
式内社・二方神社に比定される古社で、
土原大明神とも、国主大明神とも呼ばれた神社。
「二方」は、郡名を名としたもので
二方郡は、大庭縣と端山縣の二つの県があったという。
現在の祭神は大己貴神だが、
二方郡名を冠した神社であり、近くに二方古墳などもあるため、
本来の祭神は、二方国造の祖神を祀ったものと考えられ、
成務天皇の頃に二方国造に任じられた美尼布命とする説がある。
美尼布命は、出雲国造と同祖の子孫と言われ、
当地方が出雲系の勢力圏であったことがうかがえる。
天正六年(1578)五月十二日の洪水で社殿流失し、
十余町下流の深淵に御神体が沈んでしまったが、
江戸時代、備中国福原安宏にある夜神託があり、
貞享三年(1686)六月、
村民と計って仮宮を設けて神霊を奉斎したという。
明治六年十月村社に列せられた。
大正九年、大洪水で社殿が流出したが
村人が下流で御神像を見つけ再び祀った。
戦後のいつかは調べていないが、大雪で社殿が倒壊し
現在は指杭の氏神である兵主神社に移されているらしい。
社域 | 社域 |
境内には灯籠のみ |
『式内社調査報告』によると、
当社は現在、指杭の氏神・兵主神社に仮に祀られているという。
指杭兵主神社は、当社の北1.5Kmほどの場所にあり
指杭集落の奥に鎮座している。
社殿は覆屋の中に本殿が納められた形式だが、
その覆屋の左前に小祠、境内右手に石祠が祀られていた。
残念ながら、二方神社に関する情報は得られていないが、
本殿に合祀されているのだろうか、境内社になっているのだろうか。
『兵庫県神社誌』には、
指杭兵主神社の境内社として稲荷神社の名が載っている。
境内右の石祠には小さな狐が置かれていたので、石祠が稲荷社だろう。
とすると、覆屋横の小祠が二方神社だろうか。
残念ながら確認できていない。
指杭兵主神社の祭神は素戔嗚命。
創立年月不詳で、三宝荒神、天王社とも称された神社だが、
明治になって兵主神社と改称し、村社に列せられた。
帰宅後に気付いたのだが、
指杭の東隣りの田井にも同名の兵主神社が存在する。
二方神社は、旧田井村全体の神社。
田井と指杭の両村により祭祀されていたようで、
その比率は、田井が六分、指杭が四分であったらしい。
『式内社調査報告』の記述が正確なら
二方神社は現在、指杭兵主神社に移されているはずだが、
ひょっとすると田井兵主神社に移されている可能性は無いだろうか。
と、ふと考えてしまったが、確認はしていない。
指杭兵主神社 |
鳥居 | 境内 |
境内社と社殿 |
社殿左の境内社 | 本殿 |
社殿 | 境内右手の境内社(稲荷) |