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手谷神社
てだにじんじゃ
兵庫県豊岡市但東町河本885
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兵庫県の豊岡市(旧但東町)にある。
但東総合支所の南約4Kmほどの河本に鎮座。
河本川に沿って走る56号線(但東夜久野線)のそば。
河本川と56号線に挟まれた地に境内がある。
境内入口は南側だったような記憶があるが
残念ながら、この記憶には自信がない。
でも、たぶん南向きの境内。
とにかく、「砂地の広い場所にある林」という印象。
その林全体が境内。
境内入口には鳥居が建ち
右手前に「式内 手谷神社」と刻まれた
背の低い社号標。
鳥居の右手に、手水社がある。
境内奥(北側かな?)に社殿。
拝殿と本殿覆屋が繋がった形式で、本殿は未確認。
資料には流造と記されている。
参拝は四月の最終日、
ゴールデンウィーク、晴天の午前中。
一説には、文武天皇四年(707)
孝元天皇の皇子・大彦命の後裔である
高橋臣義成が出石郡司となり、
手谷の丘に、祖・大彦命を祀ったのがはじめ。
この「手谷の丘」は、当社の南にある
天谷という地であるらしく、
当社を天谷神社と記した記録もある。
中古、洪水のため社殿が流出し
現在地に移築され、手谷神社と改称したという。
よって、神社所在地であることから
神許(こうもと)と呼ばれ、後に河本となったという。
また、天谷には「天石」と呼ばれる旧鎮座地があるという。
出石郡の式内社・手谷神社に比定されている古社。
但馬国には出石郡のほかに養父郡にも同名の式内社が存在する。
祭神は、埴安神・倉稻魂命・大彦命。
上記の起源説が正しければ、主祭神は大彦命のはずだが。
倉稻魂命を祭神とすることから、宇賀大明神とも称し
また、倉稻魂命を豊岡毘賣命と同神として
岡宮あるいは岡大明神とも称したという。
社殿の左右に境内社の小祠が一つずつ。
どちらがどちらかは未確認だが、松尾神社と稲荷神社らしい。
社域 |
鳥居 | 境内 |
社殿 |
社殿 | 社殿 |
社殿左の境内社 | 社殿右の境内社 |
【 手谷神社 (豊岡市) 】