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阿毘地神社
あびちじんじゃ
京都府福知山市興567
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式内社 丹波國何鹿郡 阿比地神社 |
京都府福知山市にある。
山陰本線石原駅の東500mほどの興に鎮座。
8号線を進み、小さな踏切を渡ると、
社域の森が目の前にある。
境内入口は東側。
石造の鳥居をくぐると木々に覆われた境内。
外は炎天下の夏の日だったが、
木陰になっている境内は涼しくてホッとする。
参道を進むと正面に東向きの社殿。
右手に社務所、左手に神庫。
社殿は、瓦葺入母屋造の拝殿の後方に、銅板葺流造の本殿。
本殿は石組の上にあり、少し高い位置。
屋根の前方に向拝が付いている。
緑のドームの中の砂利の境内で
気持ちの良い鎮守様という感じ。
社伝によると人皇四十九代光仁光仁天皇の御代、
宝亀年間(770〜781)の創祀。
式内社・阿比地神社に比定される古社。
「阿毘地」と書いて「あびち」「あびぢ」と呼ばれているが、
『丹波志』には「神名アリヲチ」「天日大明神」。
古来、興地区では「テンニッツァン(天日様)」、
観音寺地区では「アベッツァン」と俗称されてきたという。
天日様と呼ばれた事から、
現在の祭神は大日孁貴命だが、
「アリヲチ」と呼ばれた場合もあるように異説もあり、
『式内社調査報告』によると、
祭神不詳、天照大御神、火明命、阿利袁知明神など。
当社は、元は現社地の700mほど東南の
補陀洛山観音寺付近の台地に祀られていたという伝承があるらしく、
観音寺村から興村が分かれて発展し、両村の中間点に遷したという。
『式内社の研究』で志賀剛は、
「阿比地」は「阿由地」の訛りで湧水の地であると考え
補陀洛山観音寺の閼伽井のあたりを旧址と記している。
また、当社は「上(かみ)」から流れてきたという伝承もある。
由良川の洪水で、流れ着いた神ということだろうか。
社殿の右手に境内社が並んでいる。
奥に稲荷神社、手前に以下の四社を祀った祠がある。
疫神神社、手力神社、天神神社、大木神社。
境内左手の神庫には丸に三つ柏の紋が付いており
拝殿の屋根瓦には橘紋。
どちらが当社の神紋なのか、どちらでも無いのか確認していないので
両方載せておく。
社域 |
境内入口 | 境内参道 |
境内 |
神武天皇遥拝所 | 社殿 |
境内社殿 |
本殿 | 拝殿 |
境内社 |