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神波多神社
かんはたじんじゃ
奈良県山辺郡山添村中峯山310−1
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奈良県山添村にある。
25号線の五月橋I.C.の南東1Km、
山添村役場の北東2Kmの中峯山に鎮座。
北へ5Kmほど行くと京都、東へ1Kmで三重となる、県境にある。
カーブする道路に面して南向きに参道入口の階段があり、
中間あたりに鳥居と社号標が立つ。
社号標には「郷社」とあるが、大正十五年九月に県社になっている。
階段を登ると境内で、階段左手に拝殿があるが、
拝殿の前が狭く、正面から社殿を撮影できない境内。
拝殿の後方に、五間社流造の本殿がある。
拝殿の扁額には「牛頭天王」。
本殿に巴紋などの紋が付いていたが、拝殿前の燈籠には、
木瓜紋(五瓜に唐花)が付いていた。
牛頭天王と呼ばれたお宮なら、祇園と同じ紋が神紋だと思う。
ただし、正確な情報は不明。『神社名鑑』にも神紋は記されていなかった。
創祀年代は不詳。
上記のように、「牛頭天王社」と呼ばれており、
俗に、「波多の天王」「畑の天王」と呼ぶ。
延喜式臨時祭にある「畿内堺十処疫神」の一つで、
伊賀との堺に祭られた疫神=牛頭天王=素盞嗚尊。
大和と伊賀への要路に位置する古社。
伝承によれば、当社に近い名張川に釜渕という場所があり、
そこに釜石が岩がある。
川の水量が少ない時に、下部に穴が見える。
その穴から、祭神である牛頭天王が出現したという。
また、当社の東南250mに舟岩と呼ぶ岩があり、
牛頭天王が新羅から乗ってきた船だとも。
拝殿の左側には、幾つかの小祠や石が祀られている。
佐田社、熊野社、稲荷社、津島社、山神社(石)、住吉明神(石)、神武天皇遥拝所。
南向き本殿の後方に、西向きに二つの境内社があり、垣の中に祀られている。
他の小祠よりも大事に祀られているようだが、摂社だと思う。
北側の鮮やかな朱色の境内社には、「六柱神社」という扁額が掛かっていたが、
『平成祭データ』には、当社の末社が二つ、八柱神社と牛の宮が記載されている。
「牛の宮」(手摩槌命・脚摩槌命)は、境外にあり御旅所だから、
たぶん、六柱神社の横に並んでいるのが、八柱神社。
参道階段 | 上から | 境内 |
拝殿 | 拝殿右手の石燈籠 |
本殿、後方から |
八柱神社? | 六柱神社 |
熊野社、稲荷社など | 佐田社 |
神武天皇遥拝所 | 拝殿扁額 | 住吉明神 |
神波多神社案内
神波多神社(牛頭天王)は、「延喜式」神名帳(九二七)にその
名が見られる古社で、「延喜式」臨時祭に畿内堺一〇ケ所に祀
った疫神のうち「大和与伊賀堺」に祀られた疫神であると考
えられている。また、本殿西方から出土した平安期の古鏡や、正和元年(一 三一二)の銘を刻む石灯篭(村指定文化財)があるなどから、 かなり古くから信仰を集めていたようである。 天正九年(一五八一)織田信長の伊賀攻めの際に兵火に遭った と伝えられ、縁起等の資料を欠き沿革の詳細は明らかでない。 当社の祭神は、素盞嗚命のほか春日大神・櫛稲田姫命を祀る。 古来から「波多の天王」と呼ばれ、大和・伊賀・山城など広くに わたり崇敬者が多い。 江戸時代前期(十七世紀中頃)の建立t推定される本殿は、 奈良県指定文化財(建造物)である。建立以来一度も根本的 な解体修理がなかったことから各部が緩み放置出来ない状 態になっていたので、保存のため平成六年から同七年(一九 九五)にかけ初めての解体修理が行われ、創建当時の姿に戻った。 主なお祭は祈年祭(二月二十五日)祇園祭(旧六月十三日) 例祭(十月十五日)新嘗祭(十一月二十五日)である。 −社前案内板− |