[HOME] > [神社記憶] > [関西地方] > |
|
大将軍八神社
たいしょうぐんはちじんじゃ
京都府京都市上京区西町48
|
|||
京都市上京区にある。
北野天満宮近く。南側から入る。市街地の神社。
延暦十三年(794)平安遷都に際し、春日山麓より勧請。
設立当初は、大将軍堂と呼ばれていたが、
江戸時代に、素盞嗚尊とその御子神(五男三女神)にちなんで、現社名に改めた。
もともとは、陰陽の神『大将軍』を祀ったものだ。
大歳神(だいさいじん) : 歳星(木星)
大将軍(だいしょうぐん) : 太白星(金星)
大陰神(だいおんじん) : 大歳神の妃、鎮星(土星)
歳刑神(さいぎょうしん) : 辰星(水星)
歳破神(さいはしん) : 大陰神とおなじ土星
歳殺神(さいさつしん) : 大将軍と同じ金星
黄幡神(おおばんしん) : 羅ごう星
豹尾神(ひょうびしん) : 計都星(彗星)
これら八方位の神々は、牛頭天王の御子で、頗利才女(歳徳神)との子。
牛頭天王は、素盞嗚尊と同一と考えられている。
雑記『王城鎮護・大将軍』を参照。
ここには百体あまりの神像があり、重要文化財になっている、らしい。
神紋は、菊の中に桔梗。桔梗紋といえば、安倍晴明の紋が有名だが、
関係はあるのだろうか。不明。
南の鳥居・神門から境内に入る。鳥居脇には社号標。
社殿の前には、方位盤が設置されており、いかにも方位の神らしい。
境内には、いくつかの境内社がある。
大金神社・歳徳神社も陰陽の神々だ。
鳥居 | 神門 |
社殿 |
社殿 |
命婦・厳島・猿田彦 | 恵比須・稲荷・天満・長者・金比羅 |
大金・歳徳 | 大杉神社 |
大将軍八神社社 当社は、平安建都の際に都城の方除守護 神として造営されたのが初まりとされ、当初は 大将軍堂と称したが、江戸時代初期になって 大将軍社と改められ、されに大将軍八神社 となって現在に至っている。 大将軍とは、陰陽道にいう太白(金星・ 西方)の精で、方位をつかさどる神である。 このため、建築・移動・旅行などに関し 世間の崇敬を集め、その時々の権力者達も 当社を厚遇したという。 当社には、平安時代末期から鎌倉時代に かけての大将軍信仰高潮期に奉納されたと 思われる「神像」百余体が所蔵されている。 このうち、武装像、束帯像、童子像合わせて 七十九体が昭和四七(一九七二)年に重要 文化財に指定された。いずれの像も、独特 の表情。装束で異彩を放っており、興味深い。 これらは、現在、保存設備の行き届いた境内 埋蔵庫に安置されている。 −案内板より− 大将軍社一般に武神をさすが陰陽道でいう方位の吉凶を司る八神の一、大将軍を祀る神社。大将軍の方角は三年塞がるとされ、方除け・方違などの風習を生み、現今の「暦」にも記載されている。平安京の四隅に奉祀されたといわれる。 大将軍八神社 旧府社。延暦一三年(794)平安遷都に際し春日山麓より王城鎮護のため勧請したと伝承。祭神は素盞嗚尊他五男三女神及び聖武・桓武両天皇。平安期には「大将軍堂」と呼ばれ、江戸期に入って五男三女神に因んで現在の社名となる。 −『神社辞典』− 大将軍については、雑記『王城鎮護・大将軍』を参照。 |
【 大将軍八神社 】