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矢田坐久志玉比古神社
やたにますくしたまひこじんじゃ
奈良県大和郡山市矢田町字東良965
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式内社 大和國添下郡 矢田坐久志玉比古神社二座 並大 月次新嘗 |
奈良県大和郡山市にある。
近鉄郡山駅の西3Kmの矢田に鎮座。
小学校の西側に境内がある。
道に面して南向きに境内入口。
鳥居をくぐると、正面に神門。
神門に向って左手に、「ニ之矢塚」がある。
祭神・櫛玉饒速日神が、天神から授けられた天羽々矢を、
三本を射て、矢の落ちたところに住まいを定めたという。
一の矢が落ちたところが現在の神社となり、
よって、当社を「矢落大明神」とも呼ぶ。
(あるいは、二の矢が落ちた場所が現在の神社になったとも)
で、二の矢が落ちた場所が、この「二之矢塚」。
塚の中央に、小さな磐があるのだが、
今回、参拝したときには、トグロ状に縄を巻かれて磐は見えなかった。
以前撮影した、その磐の写真を見ると、縄が朽ちているのがわかる。
つまり、縄で隠されて、磐が見えないのが正しい姿なのだろう。
神門をくぐると、ちょっと広い庭の奥に拝殿。
拝殿の後方、階段の上、瑞垣の中に本殿がある。
本殿の左手には、鎌倉時代に建造された八幡神社。
室町建築である本殿とともに、重要文化財となっている。
創祀年代は不詳。
貞観元年(869)正月二十七日、従五位上を授けられた古社で、
延喜の制では、大社に列せられ、月次・新嘗の幣帛を預るなど、
矢田地方隋一の名社であった。
矢田地方は、矢田部氏の居住する地域で、
その祖神である櫛玉饒速日神を祀った神社。
ただ、一説には、「久志玉比古」の神号から、
櫛玉彦命=櫛玉命とし、玉作氏の祖神、天明玉・天太玉神を祀るとする。
奈良県明日香村には、櫛玉命神社が存在する。
また、鴨県主の祖「天櫛玉命」、高魂命の子「櫛玉命」、
伊勢津彦神の別名「櫛玉命」など、「くしたま」と名の付く神々が存在する。
要するに、「くしたま」は固有の名詞ではなく、
立派で美しいという美称・形容詞と思われ、
現在は、物部氏(矢田部氏と同族)の祖神・饒速日神を祀る神社と考えられている。
饒速日神は、天磐船に乗って大空を飛翔したという故事により、
神門には、プロペラが奉納され、
当社は「航空祖神」として信仰されているという。
本殿の右手に、小ぶりな祠が一つ。
少彦名神を祀った若宮社か。
境内の神馬像などに、違い矢の紋が見られる。
矢尻付きで、リアルな紋章だ。
鳥居 | 神馬像に神紋 |
神門 |
神門にプロペラ | 境内鳥居 |
拝殿 | 後方の階段上に本殿 |
社殿 |
二之矢塚 |
以前に撮影した磐 |
御由緒略記
当神社の御祭神は わが国建国時の最高偉勲者で鎮魂の秘法を開創され 皇室の安泰鎮護の祭祀 鎮魂行法を厳修され萬民には 除厄招福による健全で充実した人間生活の安定を齎らし 地域的には明るく住みよい社会 福祉向上と増進を図られた矢田郷五ケ村(矢田 新 外川 城 山田)の総鎮守(産土神) で当地方最大の古社としてご創建当初より六世紀前半期に至る間は畿内随一の名社として 栄えご社殿は宏壮美麗を極めたが中世期以降佛法の隆盛を共にご神裔の雄族 物部氏は四 散しご社運は衰退したと伝えられてゐる 近時は 故事に基ずき航空祖神として知られ海外旅行者の安全祈願で賓客者が恩恵を蒙 ってゐる 御別名を天照国照彦天火明櫛玉饒速日命と称し奉る 御父神を天忍穂耳命(天照坐皇大神の御子)に坐して御母神は萬幡豊秋津師比売命也 御 父神天つ神の命に依り天孫降臨に先立ち中つ国假平定をなさんと将に天降りまさんとし給 ふ時此大神生れまし給ひしかば御父神天つ神に請て此大神をして代り降らしめ給へり時に 天神詔して天璽の十種の神宝を授け給ひ依て教へて曰く「若シ痛ム所アラバ此十種ノ神宝 ヲ以テ一二三四五六七八九十ト唱ヘテ打振フベシ然カセバ死人モ甦リナム」と又勅して宣 わく「葦原ノ中ツ国ニ若シ逆戦スルモノアラバ方便ヲ策シ謀リテ平定スベシ」と依て三十二 従神並に部人を率いて天磐船に乗り河内国河上の哮峯(イカルガダケ)に降り給ふ行装太だ旺盛なり 軈て 大和国鳥見の白庭山(現在地にして終焉地なり)に遷り住み給ひ土豪長髄彦が妹御炊屋姫 を娶りて妃とし御子宇麻志麻治命(建国時の近衛長官)を生み給ひ其後 神武天皇東遷し給ふや長髄彦之に抗戦然るに思ふ所あり使を発して天皇に奏して曰く「曽 テ天神ノ御子アリ天磐船ニ乗リテ天降リ給フ櫛玉饒速日命ト申奉ルガ故ニ吾之ヲ奉ジテ君 トナス天神ノ御子豈両流アラムヤ」と天皇答へて曰く「天神ノ御子亦多シ汝ガ君トスル所 若シヤ天神ノ御子ナラバ必ズ天璽アラム何ゾ之ヲ示サザラム」と長髄彦即ち饒速日命の天 羽々矢天歩靭を示し奉る 天皇之を覧給ひて「事虚ナラズ」とて宣り還し給ひて躬ずから御佩せる天羽々矢天歩靭を 彼に示し給ふ 是に於て長髄彦遥かに勝りて尊きを知り恐怖の色ありと雖も俄に制するを 屑とせずして兵を構へて猶降らず 茲に饒速日命遂に長髄彦の頑冥にして教講すべからざ るを知りて之を殺し其衆を率いて皇軍に恭順す天皇其の忠節を嘉し特に授くるに神剣を以 て其大勲に報ひ給へり是物部氏の始祖也(古事記日本書紀旧事記参照) −由緒略記より抜粋− 当社は、奈良県大和郡山市矢田町矢田965番地に鎮座しており、櫛玉饒速日命(にぎはやひのみこと)、御炊屋姫命をお祀りしている。延喜式内社で古くは矢落大明神又は矢田の太宮と称し、神裔(しんえい)は雄族物部氏である。創建年代は不祥であるが六世紀前半期の頃までは畿内随一の名社として栄えたと伝えられ当地方最大の古社である。古典に「天磐船に乗りて大空を翔行(とびゆけ)り」の古事に基づき航空祖神としてぎ斯界(しかい)関係者の崇敬を聚(あつ)め恩恵を蒙っている。本殿二棟は重要文化財で国宝である。主な祭日 例祭10月10日、航空祭9月22日、特殊神事、網掛祭1月8日、筒粥占祭2月1日。 −『平成祭データ』− |