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伊勢久留麻神社
いせくるまじんじゃ
兵庫県淡路市久留麻2033
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式内社 淡路國津名郡 伊勢久留麻神社 |
淡路島の東側、淡路市(旧東浦町)にある。
神戸淡路鳴門自動車道の東浦I.C.の南2Kmほどの久留麻に鎮座。
淡路島の東岸を南北に走る28号線と
島を横断する71号線の交差点から、少し南。
境内は、28号線に面しており東向き。
朝の参拝で、朝日を受けて鳥居はオレンジ色だった。
鳥居をくぐると、広い駐車場があり、奥に境内。
境内に入ると正面に拝殿があり、
後方に垣に囲まれて本殿がある。
創祀年代は不詳。
社伝によると敏達天皇の御代に
伊勢国奄藝郡久留眞神社を勧請したという。
往古「久留麻」は、来馬とも書かれたが、
呉織の意味とも考えられている。
境内の案内には、延喜式の3番目に記載されているという理由で、
当社は、淡路三の宮であるとしているが、
延喜式の記述順は、実は2番目。
淡路津名郡の2番目だが、淡路には津名郡と三原郡があり、
津名郡の大社・伊弉諾神宮と三原郡の大社・大和大國魂神社は別格で、
当社は、その次なのだと主張しているのだろう。
祭神は、大日孁貴尊。
別名、来馬大明神。あるいは、伊勢明神。
一説には、祭神は大己貴命。あるいは若比留女尊などの異説もある。
社前の案内や境内の石碑には、
太陽の道、緯度34度32分に関する紹介がある。
大和箸墓古墳を中心に、東西に二つの伊勢が存在し、
34度32分の緯線上に日神信仰の聖地が並んでいるというもの。
この線上には二上山や三輪山なども含まれているようだ。
詳細は知らないが、
なぜ伊勢神宮ではなく、斎宮を取り上げるのだろう。
本殿の右手に小祠があり、弁天さんと愛宕さんの名が付いていた。
本殿の左右にも、垣内に境内社の祠がひとつずつ。
右の祠は一扉、左の祠は二扉だったが、社名は知らない。
『兵庫県神社誌』には、境内社として、
猿田彦神社、伊弉諾神社、稲荷神社などの名前が載っている。
拝殿の屋根瓦には菊の紋。本殿の屋根には桐紋が付いていた。
どちらかが神紋かもしれないし、どちらも違うかも。
境内 |
社殿 | 本殿 |
本殿 |
扁額 | 本殿 垣内左に二扉の祠 | 本殿右の境内社 弁天+愛宕 |
伊勢久留麻神社
伊勢久留麻神社は別名「久留麻の明神さん」と
言いならわされている。社歴は極めて古く第三十代敏達天皇 (五二七〜五八五)の頃、伊勢国庵芸 郡久留真神社を奉遷し建築されたとの 通説であるが、延喜式(九二七年完成) に淡路式内十三社の三番目に記載され ている。 いざなぎ神宮を一の宮とし、この神社は淡路の 三ノ宮とも言われている。 祭神は大日孁貴尊、戦前は郷社正三位上の社格 を誇り、古くは勅使の参詣 もあったとも伝えられる。 毎年五月五日の例祭 には、華麗なだんじりが 練り歩き、ギャル神輿も 登場して伝統の中にも華 やかなお祭りです。 太陽の通る道(NHK特別番組、昭和五十五年二月十一日放送) 「知られざる古代〜謎の北緯三十四度三十二分を 行く」で報道されましたが、 奈良箸墓古墳を中心に東西に 対象をなして「二つの伊勢」が あります。 一つは東約七十キロメートルの 伊勢斎宮跡で、いま一つは西約 八十キロメートルの伊勢久留麻 神社と北淡町舟木石上神社です。 淡路島に「西の伊勢」があったという仮説がクローズアップされています。 −社前案内板より− 伊勢久留麻神社の由来
伊勢久留麻神社は、遠く伊勢ノ国
久留真より勧請せるものと言われ
祭神は大日孁貴尊と称され
敏達天皇の頃(五七二〜五八五)と
言われ、延喜式(九二七年完成)には
淡路十三社の三番目に明記されているその為淡路イザナギ神宮を一の宮とし この神社は、三の宮とも言う。 昭和五十五年二月十一日建国の日に NHKテレビが特別番組として、 「知られざる古代〜謎の北緯三十四度三十二分を 行く」で西のお伊勢さんとして紹介したので 俄然全国的にも有名になったものである。 −境内案内石碑より− 社前案内と境内案内に若干の違いがあるがそのまま記載
御由緒
伊勢久留麻神社は遠く伊勢ノ国久留真より勧請せるものと云われ、祭神は大日孁貴尊と称され、敏達天皇の頃(五七二年〜五八五年)と云われ、延喜式(九二七年完成)には、淡路十三社の三番目に明記されている。そのため淡路イザナギ神宮を一の宮とし、この神社は三の宮と云う。昭和五十五年二月十一日建国の日にNHKテレビが特別番組として「知られざる古代・謎の北緯三十四度三十二分を行く」で西のお伊勢さんとして紹介したので俄然全国的にも有名となったものである。 −『平成祭データ』− |