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日出神社
ひでじんじゃ
兵庫県豊岡市但東町南尾189
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式内社 但馬國出石郡 日出神社 |
兵庫県豊岡市にある。
但東総合支所の南西600mほどの但東町南尾に鎮座。
426号線を進むと郵便局があるが、
その裏側、出石川の近くに境内がある。
境内は公園の一角の林の中という印象。
南側の表参道入口に鳥居は無く、灯籠が一基あるのみ。
東側の広場からの入口に鳥居が建っている。
南側から境内に入ると、参道脇に猿田彦神を祀った石。
さらに進むと鳥居があり、右手奥が社殿のある境内。
一段高い場所に神明造の本殿があり、
前面に向拝が延びたような感じの拝殿が接続されている。
社殿の両脇に境内社の祠が一つずつ。
右手にの祠は皇大神宮・稲荷神社、左手の祠は三宝荒神宮。
三宝荒神宮の中には「三宝大神」と刻まれた石が祀られていた。
創祀年代は不詳。
社伝によると神功皇后新羅遠征の時、
勅使を遣わされ供物を献上されたという古社。
戦国時代、市場高山城主、出合山城主の崇敬が篤かったという。
江戸時代になって、寛永・正保年間、出石城主小出氏が
出石川の改修を行い、当社を旧社地の東南隅に移転し社殿を新築。
安政六年、本殿が造立された。
祭神は多遲麻日多訶神と由良止美神。
「出合のはた」という地に、多遲麻日多訶神の墳があり
「出合市場の塚」という地に、由良止美神の墳があるといい、
両古墳の中間に神社が創建されたという。
また「ちょうし」と呼ばれる場所があり、
神功皇后の勅使が遣わされた時の仮殿があったため
「ちゃくし」が「ちょうし」と転じたのだという。
中世において、社家と氏子の間に争いがあり、
結果、社家を廃して氏子により運営。
社名も、社家の姓であった「日出」から
栃の木が多かったために「栃森大明神」と変更。
式内社・日出神社の論社であり、明治三年、日出神社に復称。
明治六年村社に列した。
境内には、祠の他にも神が祀られている。
石の上に乗った灯籠は愛宕神社。
灯籠の火袋の中に小さな仏像が置かれていた。
社頭 | 境内入口 |
参道の猿田彦神 | 境内鳥居 |
境内と東側入口鳥居 |
社殿 |
三宝荒神宮と社殿 | 社殿と皇大神宮・稲荷神社 |
社殿 |
秋葉神社 | 愛宕神社 |